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zoom RSS 「公主嶺小学校史」 中国語訳本 朝日新聞が紹介

<<   作成日時 : 2016/08/01 05:17   >>

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日露戦争の1907(明治40)年に南満洲鉄道(満鉄)が創設した旧満洲・公主嶺小学校の校史の中国語訳が出版され、このほど同小同窓会に届いた(朝日新聞夕刊−1991年8月17日付)

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 公主嶺は、日露戦争前にロシアが経営した東清鉄道三大駅の一つであり、1932年の満州国建国後は植民地経営の拠点だった町。詳細な索引がついた六百ページの校史は、旧満州史の歩みを公主嶺の群像とともによみがえらせており、「史料価値が高い」として、中国の人たちが翻訳した。

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 北原白秋が童謡『秋の牧場』で「風の中から音がする」と歌った公主嶺は、機械化兵団もある軍隊と、農事試験場を中心に栄えた。同小は卒業生千五百人。校史は、同窓生らが86年から2年余りかけ、探し求めた資料と同窓生の回想で編集した。
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 内容は、満州事変・柳条湖事件の勃発(ぼっぱつ)や、抗日匪賊(ひぞく)の動きなどについての生々しい回想も織り込み、食糧や家畜増産と土壌改良の中心となった農事試験場や、陸軍公主嶺学校の記録もある。
 45年には、ソ連軍が参戦。敗戦の混乱で、公主嶺でも日本人在住者約五千人のうち521人が死んだ。だが、開拓団難民の流入が相次ぐ中で、日本人会・小松光治会長らが活躍、同年11月、学校は奇跡的に再会され、47年8月まで続いた

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 敗戦直後の記述は、編集委員として奔走した専門学校講師土屋洸子さん(写真=58)の母池田雪江さん(87)が、農事試験場農芸化学部長だった夫の實さんとつづり、腹巻きの中に隠し持って帰国した日記が、裏付けになった。日記は「45年2月末マデニ無一文トナルモノ40%以上」など敗戦直後の日本人の状況を克明に記録している。88年の発刊後、国会図書館が月報で「日本の近現代史の縮図」と紹介、索引をつけた同校史の史料価値を評価した。
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 中国訳本『満洲公主嶺』は原本を一字一句、忠実に訳して、長春出版社から出版。編集委員の小久保博司さんが、友人の長春の技術者夏雲さん(写真)に送ったのがきっかけ。吉林省社会科学院経済研究所王守安・副所長が共訳、校訂に加わった。「中国東北地方の占領経過を具体的に実証する教材」と夏雲さんは記している。
】夏雲さんは訳本の「まえがき」(下掲)で次のように述べている。
 「通読して、この書籍は史料として必ずや価値があると思ったので、私どもは共同して翻訳し、読者に提供することにした」「これら史料を翻訳してみて、日本帝国主義が我が国の東北部を侵略占領した真相および過ちを知り、疑いもなく多くの材料を得た」
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