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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −50−

<<   作成日時 : 2016/08/24 06:13   >>

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昭和8年、吉林から公主嶺に、教会牧師の中塚さんのご縁で住むことになりました。2,3歳のころ、公園の入り口あたりで私と見知らぬ中国人が歩いているのを、山本時計店のおばあちゃんが見つけました。(記念誌292頁下段)

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  多事多難の幼年時代
    川又惇子(旧姓池田・35回生)


 「その子は知っている子か」といって私を連れ戻してくださったそうです。人さらいの話、とくに日本人の女の子がさらわれる話はよく聞いたものですが、本当だったのでしょうか。
 5歳のころ、公主嶺では腸チフスが大流行したそうで、満鉄病院の先生、薬剤師、看護婦さんたちは大変だったそうです。私もチフスにかかり、他に重症の方が二人いて、だれが先に亡くなるのだろうといわれ、私だけ助かりました。奉天の病院からの小児科医や看護婦さん、店の方々の輸血のお蔭だそうで、今も、関係者の皆さんに心から感謝しています。

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 ちょうど、そのころはジフテリアも流行していて、芦田美弥子さん、妹さんの八重子ちゃんも一緒に入院され、妹さんは亡くなられました。
 百日ゼキ、猩紅熱、赤痢なども、今と違って予防方法が不完全で、子どもたちはよくかかり、重くなりました。

写真】満鉄病院
 明治40年に開業。当時は内科外科の二科で昭和12年に小児科と眼科ができた。


】第7章 満州事変(昭和6〜10年)のエピソードはこれでひとまず終了とします。

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