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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −1−

<<   作成日時 : 2016/08/31 06:04   >>

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今から七十年ほど前、公主嶺駅北約2里にある陵は「源義経の墓なり」の伝説を聞いたことがある。悲劇の将、義経は奥州衣川で果てたというのに、なぜかこの人の伝説はロマンに満ちて、とどまるところを知らない。(記念誌24頁上段)

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   公主陵と源義経伝説
            小島賢一(19回生)


 判宮びいきは同情のあまり、できるかぎりの延命の策を図り、果ては大陸でジンギスカンになったという忍者のような変わり身。このあたりかあ話は横道にそれて公主陵(下写真)に飛び火する。
 大正13年、小谷部全一郎氏は興安嶺の成吉思汗(じんぎすかん)駅付近を踏査、語源的なものを主体として報告しえいる。成吉思汗はニロン(日本)の日の族なり、姓はゲン(源)名はクロー(九郎)という。即位後、イワン・イー・チン(源義経)、土俗語でゲンギスまたはジンギスカンと呼んだとある。

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 当時、この付近の古老達は曰く、「昔からここに眠る人はイワン・イー・チンである」と似たような話を披露する。墓の前にある廟の軒瓦には源氏の紋所である。「笹竜胆」(ささりんどう)に似た印がついていたのが、今考えても不思議である。お墓は二つあって、右側が源義経(イワン・イー・チン)、もう一つは義経を慕ってここまで来て亡くなった蒙古の王家の姫だったという。
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【注】小さな町(左 中国語訳分文)
 公主嶺(こうしゆれい)は現在の中国東北部(旧満州)のほぼ中央にあった小さな町である。いや、「あった」と過去形で書くのは正しくない。現に中国吉林省の主要都市として人口13万を数え、産業に、文化に、新しく発展を遂げつつある。しかし、公主嶺小学校に学んだ私たちにとって、それはもはや過去の、追憶の町でしかない。その町で生まれ、その町で育ったものに「公主嶺」の名の響きは美しく、哀しく、切ないほどの郷愁を呼びおこし、ときとして、望郷の思いに慟哭させるのである。記念誌1頁

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