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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −3−

<<   作成日時 : 2016/09/02 05:33   >>

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とき 1899年 ところ 露都ペテルブルグ 皇帝 マンチュリア(満洲)を軍事占領したあと、どこに防衛拠点を設けたらよいだろうか。(記念誌25頁)
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    仮空露都宮廷会議
          山内昌和(33回生)

 
 陸将クロパトキン ハルビンはそばをスンガリー(松花江)が流れているので、これが天然の防衛線を形成してくれるでしょう。そうしますと、ダリーニ(大連)までの間に、2,3個所の軍事拠点を置くべきかと考えます。
 蔵相ウイッテ 現在のわが国の財政状態からみて、一箇所か二箇所にしてもらいたい。
 陸将 では二箇所ということして、南満洲支線をほぼ3等分すると、南は遼陽という町の付近になります。ここは遼河の東にある古くからの要衝です。もう一箇所はこの遼陽とハルビンの中間地点ということになりますが、ここには現在なにもありません。ただ、この付近には小さな分水嶺がありますので、一望千里の茫々たるマンチュリアでは、一応の防衛線になるかと存じます。
 皇帝 何というところだ。
 陸相 土地のものはコンチュリン(公主嶺)と呼んでいるようです。 

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】ロシア時代と公主嶺 
 三国干渉で清国に恩義を売って、1896(明治29)年9月ウラジオストックと本国を結ぶ最短距離の東清鉄道本線(満洲里ー綏芬河)の敷設権を得た帝政ロシアは、31年には大連・旅順の租借権(25年間(と東清鉄道南満州支線(ハルビンー旅順)の敷設権も手に入れた。そいて、33年の北清事変に際し、東清鉄道の防衛を名目に満州を事実上占領し、ハルビン・公主嶺・遼陽を軍事上の用地としてそこに一大都市を建設する計画をたて、着々と工事をすすめた。
 東清鉄道敷設以前は一寒村に過ぎなかった公主嶺に、ロシアは200万坪の付属地を設定して、そこに道路をつくり、兵営、教会、劇場などを建てた。(記念誌4頁)

 ロシア時代の公主嶺駅⇒
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