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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −2−

<<   作成日時 : 2016/09/25 05:58   >>

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 私が公主嶺に行ったのは明治40年で、数え年3つのときだった。父は一足先に渡満していたので、母に連れられて行った。当時はこのように、まず単身で渡満し、2,3年たって家族を呼び寄せるという例が多かった。(記念誌63頁下段)

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   ガス灯のあった講堂
       西谷彦四郎(9回生)


 1年生に入学したのは明治44年で、担任は村越という女の先生だった。1,2年生が一緒の複式学級で、のちの工作室が私たちの教室だった。講堂の反対側にも教室があったが、この年にできた幼稚園だったかどうかは、はっきりしない。ここはのちに衛生室になったと聞いている。
 講堂はロシア教会の礼拝堂だったということで、右手から入るとすぐに演壇があった。講堂の中央にガス灯が天井から下がっていて、活動写真とか、何か行事があるとき灯された。いま考えるとアセチレン灯のようなものだったと思う。公主嶺ではほかに、公会堂にも同じようなガス灯があった。
 2年生の年の7月30日に明治天皇が亡くなられて、御大葬の夜、守備隊の練兵場で軍民合同の葬送の式があった。私たち小学生も参加した。それから長い間、喪章をつけて通学したのを覚えている。

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 明治40(1907)年11月、満鉄によって設立された「公主嶺尋常高等小学校」は、もとはロシア正教のキリスト教会だった。右写真は講堂。ロシア時代の礼拝堂で、正面にはキリストの像があった。(写真集 満州公主嶺24頁)

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