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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −4−

<<   作成日時 : 2016/09/27 05:38   >>

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 私が母に連れられて兄2人と公主嶺に行きましたのは、明治41年、数え年6歳のときでした。父大川信次郎は日露戦争に従軍、戦後ロシアに語学留学して、当時は独立守備隊のロシア語通訳として勤務していました。(記念誌64頁)

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   付属地の中まで馬賊
      斉藤 秀(旧姓大川・8回生)

 
 軍隊のことゆえ、家族が営内に住むことは許されず、鉄道南のなんという所かわかりませんが、中国人家屋を借りて住んでいました。
 ある晩、表戸を叩く者が居りましたが、お手伝いのニーヤが「馬賊だから開けるな」と申します。奥の窓から見て居りましたら、一軒置いた中国人の家の屋根伝いに、黒い影が三つ転げるように逃げて行くのが見えました。当時はまだ、どうかすると付属地の中まで馬賊が入ってくるような状態でした。
 やがて公園の傍の新築の家へ引っ越しました。多分、緑町だったと思います。鉄道線路の北側に機関庫があり、機関車の音がよく聞こえました。遠くには騎兵連隊が見え、黒豚が毎朝群れをなして通る広々としたところでした。家はオンドルになっていて、床下からほのぼのとした温かさで寒さ知らずでした。私は明治43年に小学校に入学して、ここから駅前にあった小学校まで通いました。

】下 中国語訳
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