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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −3−

<<   作成日時 : 2016/10/19 05:43   >>

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 大正はじめ、浅野醸造がまだ出来る前はあそこが共楽座という劇場で、その隣に満鉄病院があった。公園のなかに公会堂が設けられて共楽座はなくなり、前後して満鉄病院も公園の東側に移転した。鮫島通りに橘医院ができたのも、そのころだった。(記念誌101頁冗談)

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   鮫島通りにあった店
        西谷彦四郎(9回生)

 
 橘医院の鮫島通りをはさんだ向かい側、桜町には同級生の足立勝男君のいた足立薬房があり、それから少し泰平橋寄りの朝日町に同級の田中たねさんのいた小間物屋があった。のちにその隣に魚屋ができたが、それが栄商店の前身だということだ。魚屋といえば、一級下の和坂君の店が泰平橋よりにあって、魚屋だった。
 朝日町にはまた同級生の藤本君のいた朝日館という料亭があり、桜町の花月にも一級下の平井君がいた。明治から大正にかけては、公主嶺に料理屋が雨後の筍のように出来て、にぎわっていた。しかし、まだ電灯はなく、街灯も石油ランプで、にぎあうといっても夜は暗かった。
 当時、私は菊地町に住んでいたが、ランプのホヤをみがくのが毎日の仕事だった。小学校を卒業するころ電灯がついて、やっと解放された。

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【注】■大正期の泰平橋 
 公主嶺に電気がついたのは大正6年1月で、それ以前は石油ランプであった。この写真は同年8月の『南満洲写真帖』のものであるが、まだ石油ランプのようである。橋のたもとにはコンクリート管が見えるので、鮫島通りの下水道工事がおこなわれているのがわかる。(写真集 満洲公主嶺87頁)

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