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zoom RSS 「赤い夕日の満洲で・・・」 井本 稔さん三回忌

<<   作成日時 : 2016/10/20 06:09   >>

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 2014年10月20日、満洲・公主嶺小学校同窓会の重鎮、世話人である井本稔さんが逝った。奇しくもその日に開かれた「公主嶺会」で訃報を受け、当日、参集した人たちは、しばし茫然、言葉を失った。あれから今日はもう二年、三回忌。謹んで再び、三度彼への思いを反芻したい。

▼翌15年の「公主嶺会」で遺族の井本一家
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 畏友、井本稔さんが常日ごろ満洲の公主嶺を語るとき、口にした言葉に「私の体の中には、今も赤い夕日の残光が住みついて離れない」というのがあった。満洲・公主嶺『過ぎし40年の記録』に彼のひたむきな赤にたいする愛着とかの地への憧憬のような名文がある。本ブログには掲載済みだが、いま一度再現し彼の偉業をしのび、称え再現したい。
                (永井至正)


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   今も赤い夕日の残光  井本 稔 

 この本を作る編集会議で、本の副題が討議されたとき、私は「赤い夕日の公主嶺」を提案したが、ボツになってしまった。月並みだと一蹴されたわけで、そういえば、満洲の枕言葉のように使われている。
 私は公主嶺に生まれ、6年生までいた生粋の公主嶺っ子である。だから夕日は飽きるほど見ていたはずだが、公主嶺というと反射的に、赤い夕日のイメージが浮かんでしまう。私の住んでいた花園町の家が真西に向いていたせいなのかも知れない。
 遊びほうけて、ふと気がつくと周囲が赤く染まっている。帰らないと叱られると思いつつ、少しでも遊びたい。しかし最期の光芒(ぼう)を見誤ると、あっという間に暗闇になってしまう。その切り上げ時を測るのが、公主嶺っ子の特技であり、役目であった。
 遊びに熱中している友たちの顔が赤く夕日に映え、影さえも赤かった。そして烏(からす)の群れがねぐらに向う鳴き声と競争するように、家路に向って駆け出したものである。
 あれから40年。私の体の中には、今も赤い夕日の残光が住みついて離れない。幻の故郷への郷愁なのか、壮大な自然への憧憬なのだろうか。(記念誌27頁)

】下 中国語訳文
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