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zoom RSS 「第5次友好訪中の旅」記 則次美弥子

<<   作成日時 : 2016/11/28 07:15   >>

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 戦後、公主嶺小学校の同窓会一行は、1983年から5回にわたって公主嶺を訪問している。以下の訪問記は5回目(1998年5月)のときのものである。筆者は岡山県出身の則次美弥子さん。タイトルは、「公主嶺は いま」となっているが、ここでいう「いま」は18年前のことである。

▼則次美弥子さん=2016年10月公主嶺会で
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  「公主嶺は いま」  則次美弥子(35回生) 

 やっと公主嶺に着いた。何はさておき、お墓参りに出かける。墓地跡は高いレンガの塀に囲まれ、周りには作物が育っている。私たちはわずかな空き地に香華を手向けてひたすら同胞の冥福を祈った。
 次に敷島台に行ったが、ここは響鈴公園になり、昔の連隊跡は工場団地になっていた。公主嶺が望遠できる陵園に上がったが、そこから見える公主廟は、わずかに木立が並び夕陽をうけて何とも侘しい光景であった。でも、見渡すかぎりの広い沃野を一望して、いつかどこかで出会った風景だと、なぜかほっとした思いだった。
 開けて二日目は、表敬訪問と自由行動。
 農業科学院の研究の成果は大きく、中国全土の要であることは昔と同じで先人の英知と研究の場はそのまま息づいていた。畜産部の広い畑にはルーサンが繁り、見覚えのある校舎を目で追いながら、大豆のアイスクリームを食べた。
 
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 第一中学校では「熱烈歓迎日本公主嶺友好訪中団」の横断幕(写真右)に迎えられた。校舎は昔のままの姿で待っていてくれた。懐かしさが棟を突き上げる。「同窓生が度々学校に戻り・・・・・・」といわれたご挨拶に、またしても熱くなる。講堂も廊下も傷んだ壁もいとおしく、遠い昔を呼び起こしてくれ、目がしらが滲む。あのころはどんなに幸せだったことか。この校舎がなくなるとは! 勉強している学生たちの目はきらきらと光り、新しい中国の姿を見る思いであった。10年前の第一次訪中記念に植えられた3本のポプラは見上げるまでに成長していた。

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 「校舎が改築されても、この記念樹は風雪に耐えて、中日友好のしるしとして育っていくでしょう」といわれた校長先生のお言葉に救われた思いであった。思い足で校門を出た。
 人民政府の方が賓館(小学校旧校舎)まで来て私たちの表敬を受けられ、町全体の改造について話された。そして、歓迎の意味を込めてと2幅対の掛け軸「中日友好 源遠流長」を頂き、張り子の虎の首を振らせて、「この虎のように勢いよく町を発展させます」と結ばれた。


            ◇        ◇

 さて、いよいよ自由行動の時間だ。みんな思い思いにグループをつくり、蜘蛛の子を散らすようにとんで行った。私たちは町へとスロープを急ぐ。泰平橋からみた鮫島通りは、増改築しながらも、一見旧態然とした面影を残していたが、西南には高層ビルがにょきにょきと建っている。町の中へ進むほどに様相は一変、敷島町と大和町は造成真っただなかであった。町の主要路として東西に約6キロ、道幅は50メートルに拡張され、周辺一帯は凄まじいの一言につきる。鉄北地帯は昔の名残りを多くとどめ、町と結ぶあの踏み切りは地下道のガードになっていた。
 形あるものは変わっても、人も自然も暖かく、変わってはいない。鎮魂の旅、懐旧の旅、友好の旅は、私たちの胸に華を咲かせた。21世紀の公主嶺がどんなに新しく生まれ変わろうとも、私の故郷であることには変わらない。

】2016年10月25日の「公主嶺会」で、隣の席におられた岡山の則次美弥子さんから頂いた写真4枚を紹介します。彼女が訪中の際、撮影されたものだそうです。
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                  ◇公主嶺小学校の全景 上下
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                  ◇著しく変貌した公主嶺駅
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                  ◇蘇家屯駅に展示されているあの「あじあ号」

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