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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第3章 エピソード −7−

<<   作成日時 : 2016/11/05 06:32   >>

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 私は明治43年大連で生まれた。父が公主嶺の機関庫に勤務することになったので、両親と姉てい(9回生)、兄次郎(12回生)とともに、明治45年に公主嶺に移住した。(記念誌103頁上段)

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   三年間通った幼稚園
        伊藤満男(15回生)
 
 
 母の話によると、機関庫で労働争議があり、多くの人が解雇になったそうだが、幸い父は首がつながって、それからずっと機関庫勤めだった。
 父は私のことを「この子は内気だから外に出さねばいかん」とのことで、私は3年間も長く幼稚園に通わされることになった。そのときの幼稚園の先生は小学校の岡山、古市両先生の奥様で、大変お世話になった。昼に弁当を食べてしまうと悲しくなって窓に腰を掛けてシクシク泣いていたそうである。
 大分、後のことになるが、私が公主嶺駅の助役をしていたとき、優等車の窓から「満男さん」と呼ぶ声があった。見ると岡山はつ先生である。先生は「満男さん、大きくなったわね」といわれた。とても親しみのある声であった。
 あとで助役室に変えると、いつも私に「助役さん」といっていた駅員連中が笑いながら「満男さん、おおきくなったね」と冷やかすので大テレであった。

】戦後写した幼稚園2枚。左、旧校舎前列と向こうが幼稚園。右は食堂になっている
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