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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード ー2−

<<   作成日時 : 2017/01/07 05:14   >>

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 大正12年、元白系ロシアの文部大臣でいらしたとかのアレキサンドル・ジュコフスキー氏が満鉄に亡命して来られ、農試病理昆虫科で父三浦道哉(のち蜜成と改名)の仕事を手伝って、赤石行雄氏と植物の絵などを書いておられた。お住まいは農試のなかのロシア建て住宅だった。

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  ジュコフスキー一家
    寺田敏子(旧姓三浦・14回生)

 
 父は北大の宮部金吾先生の教室で植物分類学を学び、研究室にも残って、その後、
青森試験場に勤務した。宮部先生のご養子の宮部憲次氏は公主嶺農試の病理長昆虫科長でいらしたが、不幸にして病没され、その後任として大正7年、公主嶺に赴任した。
 世話好きの江戸っ子の母はよくジュコフスキー一家のお世話をしてあげていた。共同浴場へ行かれるのもお気の毒と、ときどき家のお風呂にお入れしてしていたが、室一杯に香水をプンプンただよわせ、湯船のお湯は空っぽにして使われていた。奥様はすごく体格のよろしい方で、よく椅子一杯に座られてはピアノをひいて遊んで行かれたものだった。
 後日、公主嶺の病理昆虫科が熊岳城へ移管されたとき、ジュコフスキー氏も熊岳城へ行かれ、のちポーランドへ帰られたというが、如何されたことやら。


】下写真 大正9年夏 公主嶺農事試験場の全員。前列左から5人目が三浦道哉氏。
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