
まくわ瓜と粟ぬくい
神田誠之(14回生)
われわれ悪童連、関原庄太郎、国米正秀君ら3,4人が満を持している。やがて天秤棒にまくわ瓜を盛ったニーヤが現れる。2,3人が前の籠のほうで何だかんだと冷やかしながら交渉を始める。その間に一人が何食わぬ顔で後の籠のほうに回り、まくわの一つ二つを草ぼうぼうの溝に投げ込む。
ニーヤが交渉不成立で立ち去ってから、その戦果に喚声。正に「非行少年」の原型であった。
そのニーヤが冬になると粟の行商になる。綿入れ布団のような外套を着て、大きな竹籠に黒光りの甘栗を山盛りにし、それを厚い布に包んで「泡ぬくい!」「粟ぬくい!」と寒い夜空に長く余韻を引いて売り歩く。
父は毎年、札幌の祖父母にこの粟と公主嶺自慢のかきもちを歳暮として送っていた。札幌からは決まって鮭とするめのお返しが送られてきた。鮭は学校のお弁当に毎日々々お供してきた。隣の佐藤久夫君のお弁当は卵焼きやかまぼこやらで羨ましかった。
【注】木下町の満鉄社宅
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