
運動会はいつも苦手
山本俊朗(15回生)
学校は旧ロシア教会堂を多少改修した校舎で、各学年とも男女一組で、全生徒数は二百数十人であった。4年生から6年を卒後年は業するまで男子13人、女子10人ほどのクラスで、担任は土屋国蔵先生。体操の時間はよく走りっこやリレーをやらされ、いつもしんがりをつとめるので、運動会はいやだった。
後年、「鉄開四公」陸上競技大会で公主嶺代表として六度参加し、8百メートルで二連勝したことが不思議である。また9年の公主嶺の町内競技会では千五百メートルに4分22秒5で優勝し、大連を除く全満での新記録を更新したときは、自分ながら信じられず、生涯の思い出となった。
町も学校も野球が盛んで、尋常科は軟球、高等科は硬球で、チームワークがよく、強豪長春小学校を迎えて勝ったときは、町中喜びにわいた。
【注】写真は丸福旅館 「鉄開四公」とは、鉄嶺、開源、四平、公主嶺の略。
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