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zoom RSS 座談会 回想の『満洲公主嶺』3部作 A

<<   作成日時 : 2017/03/29 06:02   >>

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 ー初めは『写真集』を作る予定はなかったのだが、『記念誌』の記述を裏付ける意味でも、写真を集め始めたところ、いい写真が多くて、途中で並行して『写真集』の構想が生まれた。(公主嶺小学校同窓会・会報「満洲 公主嶺」合本NO.52)

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      歴史と詩情あふれる『写真集』
 
 今井 公主嶺は守備隊や騎兵連隊があったおかげで、軍隊に出入りする写真屋が多かった。スタジオをもっていたところは、父高柳之助の「やなぎ写真館」のほか、「さくら写真館」「坂田写真館」が大きく、そのほか数軒の写真館があった。
 −兵隊が満期で除隊するとき、土産に買うはがきの中に「公主嶺16景」があった。ほとんどが『写真集』に入っている。それほど自然に恵まれた風景画が多かった
 今井 「16景」に入っていないが、乳が撮った「公主嶺駅を通過するあじあ号」は、店でも絵はがきにして売っていた。

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 ー明治・大正時代の古い写真を探しに「満鉄会」まで行って、今井委員に複写してもらったことがあった。駅舎やロシア時代の小学校、農事試験場の並木など、変遷がよく分かる構成にしたので公表だった。 
 植松 列車が通過する「遼河鉄橋」や「橋頭堡」を摂った根元信はどういう人ですか。
 今井 父の助手をしていた住み込みの青年で、写真のセンスがよく、父から手ほどきを受けていた。レイテ島で戦死したが、鉾田の実家に写真が湿気でくっついていて、はがすのに大変だったが、何枚か教えて「風車近景などが『写真集』に入っている。

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 植松 「ロシア墓地遠景」など3点は土屋英一の秀作だが、あそこは何にもないただの原っぱだ。それがヤナギの梢を渡る風まで写っている。『写真集』の白眉でしょう。
 −「中央の十字架塔」は「祖国のほうに西面していたと思われる」と書いたが、こんどルーペで拡大してみたら、西日を受けた碑面がみえた。 
 植松 航空隊の撮影となっている鉄道北の「公主嶺市街」と「畜産」の2枚の空中写真は、クロパトキン官舎の河合煕さん(32回生)が所有者になっているが、河合さんが亡くななられたので、入手の経緯はわからない。
 −ともに昭和11年夏の撮影だが、「絵はがき」となっているから、航空隊の酒保ででも売っていたいたのだろうか。「公主嶺市街」のほうは、新校舎が半分しか出来ていないから、11年夏の撮影であることは確かだ。 

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 土屋 「畜産」の写真は、円形道路に近い羊舎や厩舎などの建物の固定は、だれにみせても異論がなかったが、小さな子屋のほうは何回も農試の職員に手紙で問いあわせて、最終的に『写真集』のように確定した。
 −風車の位置は最後まで分からなかった。ルーサン畑の真ん中にあって、羊だけが知っていたような用水要ポンプなので、金窪敏知委員(34回生)が作成した地図にも載せられなかった。
 井本 折込の口絵になっている西島武郎画伯の『公主嶺農事試験場の畜産風景』は、最高のカラー印刷技術を駆使して、5校までとったと聞いている。第2部のカラーの色調もよく出ている。表紙は「赤い夕日」にこだわって、あの色を再現したかった。




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