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zoom RSS 満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 B

<<   作成日時 : 2017/04/27 05:05   >>

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満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑善後連絡所の記録(敗戦から引揚迄)−公主嶺日本人会 会長 小松光治(昭和21年8月22日 記)

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3、蘇聯軍との接触
 
 公主嶺にては5万の日本軍は武装解除を受くる予定にて、最高指揮官は飯田詳次郎中将及び弘(ひろむ)兵団長なり。軍使入市せば日本人会長も直ちに彼等に面会して敬意を表する為日本酒、白焼酎、ビール、果物等を持込み21日より2日間司令部に待機したるも正式軍使(蘇軍少将)の来公せるは23日にして其の以前に来公せし蘇軍は悪質なる囚人部隊にして、日本憲兵隊長(大森応召中尉)の薄志弱行も伴なひ、憲兵隊先ず略奪を受け隊長以下腕時計を掠らる。
 軍使亦暴慢無礼に加へ飯田司令部参謀長(少将)以下幕僚頗る度胸無く只彼等の一方的命令怒号を甘受したるのみにして居留民の保護等思いも寄らず、心ある者をして如何に戦敗国にしても其の折衝の拙劣なるを憤慨せしめたり。居住民より軍使一行に贈りたる品物も遂に日本軍の慰問品に代えられたることを数日後に承知せり。
 斯く23日より25日の三日間大規模の暴行掠奪行われたり。其の方法は先ず蘇兵(将校を含む)先導して日本人家屋に侵入して目星き物を奪いたる後中国人暴民(少なきは百名多きは四、五百名)を引き入れ思い存分に掠奪破壊を恣せしむるにあり、全く鎮静したるは8月末にして、如何に公主嶺の暴掠の甚だしかりしかは蘇軍自ずから9月1日のモスコー放送に置いて「公主嶺全滅」を報せしにても知らる。関東軍司令官の停戦命令に因る日本軍の無抵抗に酬いるに此の蘇軍の暴虐は後日正当に批判せらるべき機会有るべし。

 8月24日鉄北区の全面的鉄南区へ避難命令を出したり。鉄南区と雖も場末は危険なるを以て中央に集結の態勢を取たり。折角の自衛団も施す術なく無抵抗主義防御態勢に移したる為、勢いに乗じたる中国側暴民は日本人集団区域に進入せんとしたるは8月25日13時頃にして、吾々一同は最後の玉砕一歩手前に突入せるが幸に事無きを得たり。
 翌8月26日初めて蘇軍幕僚が10数名の兵を引率して吾々の集団地区に来たりしも生憎上達せる通訳を欠き十分彼等の意を解し難かりしも、彼等の態度より押して「居留民会」を否定するものの如く、また吾々避難者の余り窮屈なる集結を見て同情的言語を以て早く元の我が家に帰れと勧め呉れたるを以て、9月1日頃より鉄南区は漸次我が家に帰る者を見るに至れり。
 僅か数日間にかくも荒らされたるかと茫然自失せるも、気を取り直して之が修理に務め是迄の一所帯が二、三所帯となり共同炊事となし、危険防止と節約を旨とせり。但し偏癖なる場所、破壊の余り甚だしき家屋は之を放棄せり。
(つづく)

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