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zoom RSS 満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 C

<<   作成日時 : 2017/05/02 07:01   >>

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 満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑善後連絡所の記録(敗戦から引揚迄)−公主嶺日本人会 会長小松光治(昭和21年8月22日 記)

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4、蘇軍に依る居住民の死者
 1死者  農事試験場員  2名
 2傷者  商店員       1名
 3蘇軍の凶暴に戦き吾が愛児を自ら絞殺した者 3名
                  (17歳、5歳、3歳)

5、蘇軍に依る拉致者
 副県長、市長、警察署長、県協和会事務長、市警察特務、各1名。警察官5名  計11名
 拉致先には、概ねシベリア方面と推せらる。因に満系県長も拉致せられたるも、旬日にして放免せられたり。


6、事変後の政局 
 8月10日頃より怠業状態に陥りたる懐徳県公署および公主嶺市公署は15日以降後全くその機能を停止し無政府、無警察状態となり蘇兵入市後は混乱名状すべくもあらず、8月18日臨時に東北治安維持会懐徳県政府と称し、青天白日旗及び蘇国旗を掲げ旧県長以下数名の幹部及び土地紳士数名来長し居たるも、行政と云うよりも蘇軍の中、少尉に使駆せられ、彼等の物資要求の受命機関たるに過ぎず。其の反面日本人側に友好関係を示すことを不利とし中国人には精白高粱を、日本人には半搗き高粱を配給するなど差別的態度を示したるは尚忍ぜべし。
 其の後自称国民党なるもの蘇軍と提携して前記治安維持徳会を圧迫し、旧県長、副市長(満系)を蘇軍に拉致せしめ一時勢力を張り日本人神社の取壊し、寄付金の強要などありしが真偽不明の行動あり、後、八路政権に解散を命せられたり。
 (つづく)

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