
追悼の市民平和行進
約30人の参加者は、菊の花を手に富山市役所前から、大空襲で焼け出された多くの市民が逃げ込んだ神通川原まで歩き、献花しました。
富山大空襲は、1945年8月2日未明、米軍のB29爆撃機の大編隊によって行われた空襲。当時の中心街地の99.5%が焼き尽くされました。死者は推定3000人、約8000人が負傷しています。
神通川原で開かれた集会では、主催者を代表して2人があいさつしました。富山大空襲を語り継ぐ会幹事のの柴田
恵美子さんは、「大空襲は経験していないが、『会』に入って空襲がいかにひどかったか知った。戦争が二度とないようにしなければ」と話します。
原水爆禁止富山県協議会事務局長の小林哲夫さんは、「国連で核兵器禁止条約が採択された経過を見ていて、(交渉に参加しない)日本政府のあやしさがよくわかった。戦争を語り継ぐ行進は本当に大切だ」と述べました。
他県から引っ越してきて初めて参加したという女性(69)は、「富山大空襲が語り継がれてきたことはすごい。行進は大事だと思うので、これからもできるだけ参加したい」と話していました。
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