
幼い心と体に焼きついた
食料難・軍国主義教育
たくあんだけでいいから
白いご飯を食べたいな!
戦争中は岩手県の小さな町で高校一年まで暮らした。稲田の豊かな町だが疎開者には着物と交換で手に入れたコメは僅か茶碗の底に20粒程度、大根葉、芋に水分の多いおかゆ。育ち盛りの幼い兄弟は「ああ たくあんだけでいいから白米のご版を食べたい」空腹を嘆いた。母は終戦の年4人の子らを長姉に託して43歳の若さで栄養も採れず亡くなった。
「天皇のために死ねよ」 教えた軍国主義教育
私は国民学校一年生。それまでの尋常小学校先日の兄たちが使っていたのとは変わった終身・国語。教育勅語は丸暗記され、校長が厳かな声で朗読する式典では、せき・くしゃみもしてはならなかった。
先日都議選の演説会に右翼の宣伝カーが最大の音量で緒維持間軍歌を鳴らしたがその後、私は数日間メロディー。歌詞ともに脳裏から離れなかった。

教科書のほとんど黒塗りに 憲法・民主主義が!
終戦後墨塗りに?疑問を感じる間もなく教師の言いなりに作業。新制中学になって「憲法の話し」『民主主義」の教科書の授業が始まった。私はこうした教科書をむさぶるように読み学んだ。
英語は戦地から返った新しい校長先生が教え、運動会・学芸会・生徒会も生徒たちで行われた。学校は毎日が楽しかった。
教育の反動化、道徳が教科書に、先生は困惑、怒りが
来年から道徳に教科書と評価が導入になると聞き、新婦人の方々と各社の教科書を見た。道徳を教え採点するなど私はかつての教育勅語を中心に進めた終身を思い出し戦慄を覚える。
一人ひとりの子どもたちに政府の価値観を押し付けるものであり、内心の自由を侵す憲法違反にほかならない。(木村清子)
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