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zoom RSS 兄特攻死  「海ゆかば」は反戦歌

<<   作成日時 : 2017/12/14 06:20   >>

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 「海ゆかば」という歌があった。戦争を体験した人なら誰もがこの歌を聞いて身を締め付けられるような不思議な感情に襲われ、歌って涙したものです。万葉の歌人大伴家持(おおとものやかもち)の詞に信時 潔(のぶとききよし)が曲をつけました。
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太平洋戦争の末期、ラジオのニュース放送の冒頭にこの曲がながされると、いつも襟を正し、座り直したものです。それは悲しい知らせだったからです。アッツ島に始まったサイパン、テニアンなど玉砕(全滅)の報道でした。その対極にあったのは、「軍艦マーチ」「抜刀隊の歌」でした。大本営による初戦の大勝利の戦果発表はともかく、昭和19年いごはそのほとんどが虚報でしたが、、奏でられる威風堂々(当時の小国民は皆そう思った)の調べに欣喜雀躍して拳を突き上げていたものです。 

    今はもう反戦の歌に聞こえてしまう
 
 戦後72年、あの時代を今に重ね合わせると複雑な思いにかられます。戦争を知らない世代が今、戦争を語り始めています。若い「知たり顔」の国会議員が、行け行けどんどん、のノリで北朝鮮、国際貢献を語り、憲法「改正」を語るに及んでは、「戦争を頭で考えたらいけない、体で感じないと、あの恐ろしさは分からない」の思いを強く持つのは私だけではないでしょう。再び繰り返してはならない「歌」それは「海ゆかば」です。
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【追記】
@ 右写真は昭和18年12月21日、神宮外苑競技場で行われた「学徒出陣壮行会」。分列行進曲のあと、最期に会場いっぱいに合唱したのが「海ゆかば」と聞く。
A 昭和20年3月、在満公主嶺小学校の卒業式では校歌を歌った後、それまで例年斉唱されていた「仰げば尊し」「蛍の光」に替わって「海ゆかば」を歌い、別れを告げたことを記憶している。
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B 昭和20年5月、旧満州新京第1中学校の朝礼。兄(神島利則海軍中尉=同校出身)が神風特別攻撃隊で戦死したことを受けて、在校生全員をを整列させ、私(永井至正=旧姓神島)を演壇に立たせ、成瀬教頭が訓示、「諸君の先輩が特攻隊として散華した。君たちもあとに続かなければならない。ここに弟・至正君がいる」と私を紹介した。
 次いで校庭の一隅にある第一陣神社(皇恩の推進者として神社が併設されていた)の鳥居前に全員が整列。ラッパ手(トランペット奏者)が「海ゆかば」を吹奏、黙祷が続いた。

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