
原告「一審から後退」
原告の粟遠奎さん(84)=重慶市=は判決後の記者会見で「判決が謝罪と賠償の請求を認めて、両国の間に残されている歴史問題を解決し、日中友好にも積極的な役割を果たしてくれると思っていた。しかし、失望した」と批判。上告し、たたかいを続ける決意を表明しました。
原告弁護団(田代博之団長)は、不当判決だと強調。一審判決で「空戦規則案に規定されている無防守都市に対する無差別爆撃の禁止、軍事目標の原則は、国際慣習法化していた」と認定したものの、高裁判決は当該部分を削除したと指摘。「地裁判決の水準から著しく後退したものだ」と訴えました。

判決のため、原告や支援者ら約30人が来日。判決後、集まった人たちは千代田区霞ヶ関をデモ行進しました。
訴訟は、被害者らが06年3月に提訴し、追加提訴を含め原告数は188人。死亡した原告の承継人を含めると控訴人は243人に上ります。訴状によると、重慶市などへの爆撃は1938~43年の間に200回以上に及び、死傷者は10万人超、家屋や店舗を失った人は100万人規模といいます。(しんぶん「赤旗12月15日付)
【写真】下 東京大空襲訴訟原告団と交流する。(押上事務所で)
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