満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満州・公主嶺H

<<   作成日時 : 2018/03/19 06:06   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 夜汽車というと、なによりもまず、鐘のひびきを思いうかべるのは、大陸育ちの共通の体験だろう。渺茫とした広野の果てに、遠く尾をひいて夜汽車の鐘が消えていくと、わけもなく、郷愁に誘われたものだった。
画像
      夜 汽 車 の 鐘

かねを鳴らして夜汽車が通る
からんからんと、鳴らして通る
かねはかれ山、かれ野にひびく
空の遠くの 月にもひびく
鳴って、鳴らして ずんずん通る
      (満洲唱歌5年 「夜汽車」)


 私たちが子どものころに聞いた汽車の鐘は、実はアメリカ大陸の横断鉄道からもたらされた。
 日露戦争の後、満鉄が狭軌のゲージを再び広軌の1435mmに直したとき、アメリカやイギリス、ドイツから多くの機関車を輸入した。大正6(1917)年末に満鉄が所有していた機関車は270輌で、アメリカ210、イギリス47、ドイツ4、ほかに沙河口工場製9となっている。(「南満洲鉄道十年史」P228〜P230)
 これでもわかるように、あの土地のきびしい冬の気候に最も適していたのが、米大陸の機関車であった。お手本としたのも、アメリカ・ロコモティブ社の1D1テンダ(炭水車が一体となった機関車)であり、これがのちの「ミカイ」になった。鐘も、ヘッドライトも、何にもかもそっくり真似て、つけられたものであろう。

画像
 誠文堂新光社の「おもいでの南満洲鉄道」(1970年刊)には、たくさんの「ミカイ」「ミカロ」型機関車がのっている。これでみると、鐘がついていている位置もさまざまなのがわかる。
 同じ「ミカイ」でも、いろいろな型があって、ラクダの二つのコブのような蒸気溜、砂溜の前方についているものもあれば、二つのコブの後についているものもあり、「ミカニ」の原型は、やはりアメリカン・ロコモティブであったから、アメリカの機関車がそうなっていたのであろう。
 この鐘はカウ・ベルの一種でもともとは線路に入りこんでいる放牧の牛や羊を追いだすためのものであったから、遠くのほうまで余韻が伝わるようになっていた。そして農事試験場のあった公主嶺の山野にこそ、一番あっていたように思われる。

画像
 今年の夏(1982年)、横浜で「中国鉄道展」があった。その会場で真っ先に目に入ったのが「前進」型機関車(1E1テンダ)の大きなパネル写真であった。私はしばらく、その写真から離れることができなかった。その機関車は1956年に大連の工場で製造されたと書かれていたが、金色の鐘がはっきり見分けられた。おまえは忠実にコピーされて、まだ残っていたのかという懐かしさがこみあげてきた。パネルが展示されているくらいだから、現在も、あの大陸に悠然としたひびきを鳴らしつづけているにちがいない。
 もっとも、同じ「前進」型でも、1964年以降、大同機関車工場で製造されたものには、鐘がついていない、とすると、中国でも最近は鐘がついていないのか、それとも東北地方のものにだけ残っているのだろうか。
 SLの宝庫といわれる中国東北部で、夜汽車の鐘を聞くことができるかどうか、来年の訪中にはカメラと一緒にテプレコーダーをもっていく必要がありそうだ。
画像

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満州・公主嶺H 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる