
NHK・TVドラマ「どこにもない国」
と き:3月24日(土) 午後9:00~
前編 「命をかけた満洲からの脱出」
:3月31日(土) 午後9:00~
後編 「引き揚げは実現するか
150万同胞祖国へ」
■原 作:「満洲 奇跡の脱出」 ポール・邦明・丸山著、高作自子訳、柏艪舎出版、2011(平成23)年12月31日発行
「満洲 奇跡の脱出」と私(公主嶺)
私は、1987(昭和62)年11月に発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(公主嶺小学校創立80周年を記念して編集発行したため、略称を『記念誌』という)の第9章と第10章を執筆したとき、第10章P487~488に「10-10 公主嶺からの引き揚げ」として、、引き揚げの事情を書いた。

1946(昭和21)年春ごろ、大連はソ連軍、共産軍の管轄下にあって、日本人の引き揚げが難しく、コロ島から引き揚げることになったが、「コロ島」は誰も知らない港だった。丸山邦雄さんたちが東京のGHQに行ったとき、地図にコロ島が記載されていなかったという。コロ島は関東軍の秘密の基地だったらしい。
この大変な事業について、丸山邦雄さんが『なぜコロ島を開いたか』に書いた。私は、『記念誌』執筆のときに、ある図書館でこの本を見つけて、7行ほどだったが引用して書いた。
私たちがコロ島から日本に還ることができたのは、丸山邦雄、新甫八郎、武蔵正道さんたち3人の功績によるもので、忘れてはならないと想ったから。

それから26年。2013(平成25)年のある日、新聞にポール・邦明・丸山さんの名前を見つけた。
丸山・・・。急いで『記念誌』を拡げた。忘れてならないお名前だった。読売新聞の担当記者に手紙を書いた。『記念誌』のコピーを同封して、私たちの感謝の気持ちを丸山さんへ伝えてほしいと。
その1年あとに、アメリカから1通の手紙が届いた。ポール丸山さんからだった。新聞社に出した私の手紙を柏艪舎社長の夫人がアメリカに届けてくれたのだ。自分の本が出る前に、父が書いた本から引用していることを驚き、感謝するとあった。
今、私は、NHKのドラマの放映日時を知らせるハガキ約150枚を、出したところだ。公主嶺小同窓生、海外から引き揚げた人やその関係者で、どのような感想が寄せられるか、楽しみにしている。
【注】コロ島の地図

満洲公主嶺の「記念誌」488頁
・・・当時、南の大連は閉鎖され、東の安東(現丹東)から鴨緑工を通って北朝鮮に抜けることも監視が厳しく、渤海湾の葫蘆島(コロトウ)だけが国府軍の勢力範囲にあった。丸山邦雄、新甫八郎、武蔵正道ら三人は鞍山から出て、21年2月22日大連をたち、決死の覚悟でコロ島、山海関、天津、大沽(タークー)を経て、3月13日に山口県仙崎についた。4月4日、GHQのマッカーサー元帥に満洲残留日本人の苦境を訴えた。彼らの努力の結果、4月25日、コロ島に向けて2隻の引き揚げ船が出て、5月14日、引き揚げ第一船が佐世保港に入港した。以来、23年8月までコロ島からの引き揚げが実施されたのである。(丸山邦雄『なぜコロ島を開いたか」)。
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