「異国の丘」 名もなき捕虜が歌い継ぐ

 ソ連が日本に宣戦布告した1945年8月9日、関東軍上等兵吉田正は機関銃部隊長としてソ満国境にた。満足な武器もない断末魔の戦況の中、被弾した吉田は意識を失い捕虜としてシベリヤに抑留される。(しんぶん「赤旗」3月25日付ー日曜版)

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    あの日この歌 名曲の散歩道    丸山 繁雄 

 3年後の8月1日、NHKラジオ「素人のど自慢」で、中村耕造というやはりシベリアからの復員兵が「よみびとしらず俘虜の歌える」として誰も知らない歌を熱唱した。「今日も暮れゆく異国の丘に、友よ辛かろ切なかろ、我慢だ待ってろ嵐が過ぎりや、帰る日も来る春が来る」
 敗戦からわずか3年、この歌はシベリアのみならず異国の各地に、まだ帰還しない家族や友人を持つ多くの日本人の胸を打ち、NHKは作曲者を探し始める。

 3年間の強制労働を経た吉田が、ナホトカから舞鶴港に復員したのは番組放送の直後だった郷里の日立市に戻った吉田を待っていたのは、艦砲射撃で焼かれた実家と、生き埋めになった6人の家族だった。
 失意の吉田の耳にラジオから、敗戦の2年前、中国戦線の陸軍病院のベッドで自ら作曲した歌が流れた。もともとは「大興安嶺突破演習の歌」として吉田が書いたメロディーに、ウラジオストック郊外アルチョム収容所に抑留されていた増田幸治が「俘虜の歌える」という詞を書き、捕虜たちの間で歌い継がれたものだった。シベリア抑留の日本人捕虜だけでもそのうち5万5千人が、「異国の丘」に帰らぬ人となった。

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