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zoom RSS 「謝罪と鎮魂の旅」 則次美弥子

<<   作成日時 : 2018/05/19 06:07   >>

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 「中国の旅から帰ってきました、元気です。南京で日本兵が無差別に一般市民まで殺したことを、私は許せないのです」。公主嶺小学校では2級上、岡山の則次美弥子さんから『中国南京を訪ねて』が送られてきました。
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       謝罪と鎮魂の旅     則次美弥子 

 博物館で私たちを待ち受けた関係者は「友、遠方より来る」とやさしく迎えてくれた。さすがにーまた、楽しからずやーとは言わない。
 まず、献花をし黙とうをささげる。この時をどんな想いで南京(ここ)まで来たことか。心から冥福を祈る。
 日本軍の士官たちは、どんな教育を受けたのかを問う。捕虜の扱いにしても国際法に反するのではないか。日本の一兵卒からみれば、上官の命令とあれば、それに従うしかないものを。昭和の遺言「十五年戦争」(兵士が語った戦争の真実=文芸社)の中に軽機関銃係として南京攻略に参加した大田俊夫(仮名)は次のように語っている。


 中隊長が強盗、強姦、放火、、殺人何でもやれと言った。女の子を引っ張り出したわ。命令やさかいにな。(中略)13日(1937年12月13日)に揚子江の河べりで、小銃隊が撃つと軽機銃も撃つ。誰かが「次」と言うたら、また人を並べて撃ち殺すんや。あの時はのう、戦友の敵討ちやという思いやったな。気がたっていて女の人も子どもも殺す。(中略)南京大虐殺はあったんやから、わしらが揚子江の河べりで何万という支那人を撃ち殺したんからな。 

 日本兵のこの言葉の裏に殺戮した苦悩がうかがえる。国土の至る所でやったであろうこの行為を南京では「侵華日軍南京大虐殺過難同胞記念館」として、無料で一般に公開している。
 入館前にイヤフオーンが渡され、館長の流暢な日本語で説明が始まった。最初に目についたのは300,000人という数。零(ゼロ)が多いという印象は否めない。彼は「ここに一人ひとりの名前が刻み込まれています。中国では三という数字を大切に思っています。この三十万の三は、多いという意味を表しています」という話を皮切りに、薄暗い照明の中を見たり聞いたり忙しい。

 中国語、英語、日本語で書かれた部分は、スポットライトを当てているのでこれは読みやすい。13日のことを南京駐在の各国大使館が本国に送ったという写真や文章を元に新聞で一斉に報道されたという。当時の新聞が並べてある。写真や主要文は拡大パネルでよく分かる。日本の新聞をあいにく見逃したが勝利は大々的に不都合のところは隠蔽されたであろうと思われる。また、テレビの説明室もあった。
 やがて、メイン会場と思われるところに来た。無残な姿となった人々が重なり合い。何かを訴えているように思えた。目をそらすことも叶わず館内は一層重い空気に包まれるが、説明者は感情を交えることもなく淡々と話は続く。私の知る限りのそのままの話しだった。

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 死者の多かったこの地に博物館を建立したが、造成中に敷地内で見つかったという一万人抗は、断面が斜めに削られ幾層にも重なった人骨は凄まじい様相を呈している。南無阿弥陀仏、この言葉で頭が重い。ここは一般には公開していないという。
 やがて出口に近づいた。そして最後に「入館のとき30万人と言ったが、実際にはもう少し多いです。でも三の持つ多いという意味で冒頭に30万と言ったのです」と彼は言う。重ねて言ったこの言葉に、私の心のどこかに中国的だと思わずにはいられなかった。とにかく日本軍の蛮行は南京事件が最たるものだったことは事実である。
 制服を着た警備員4、5名に終止警護され日本語で説明を受けている私たちを一般客(アジア系)にはどう映ったことか。日本人(リーベンレン)だと言う声も後から聞こえてきていた。
 帰りに祈念バッジを頂いた。日本人の観光客は殆どいないとのこと、そうだろう。愚行を見るには勇気がいる。でも事実を受けとめて見聞せねばなるまい。過去を知り、その反省の上に平和な道を歩むためには。
謝罪と鎮魂の旅は終わった 則次美弥子(87歳) 2018年4月12日 

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