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zoom RSS 「被ばく線量気にしていたら・・・」 片山夏子

<<   作成日時 : 2018/06/16 06:10   >>

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 福島で壮絶な悲劇が惹起されてから7年。その対策に身を粉にして危険をもかえりみず復旧作業に従事する男たち。彼らのひたむきな思いに寄りそってきた東京新聞社会部記者の片山夏子さん。今日もこれら戦士の動静を追って聞き取ります。
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 福島第一原発で1号機や3号機が水素爆発した後、二百`はなれた自宅近くにも、局所的に空間線量が高い場所ができた。これが広がったらどうなるんだ、止めなきゃと思った。次に何かあれば、この国はなくなる。やるしかないという気持ちがあった。福島に来た人は、みんなそういう気持ちだったんじゃないか。
 まあ給料が高いと聞いたこともあるけど。やれることををやって、次の人につなげればと思った。
 初めて爆発した原子炉建屋を見た時は、うわーっ、ラスポス(最後に立ちはだかる強敵)だと感じた。あちこちで線量計が鳴り「何だよ、これ」と焦った。それから随分、高線量の建屋周りで作業をした。


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 3号機を囲う壁を造る時は、線量計の数値ががんがん上がっていくのを見て気持ち悪くなった。現場への行き帰りと作業を含めて十五分。ねじ一本入れるのが精いっぱいだが、それじゃ仕事にならない。少しでも多くねじを入れようと、ぎりぎりまで作業した。
 原子力建屋の一部ではかなり線量が下がったとはいえ、今も高線量の作業は続く。それなのに昨春から、年間被ばく線量を二〇シーベルト以内に抑えるようにと言われた。一人の被ばく線量を抑えるために、東電が決めたというが、これじゃ高線量の現場では二カ月もたない。あっという間に現場を去ることになる。

 被ばく線量の心配をしていたら、仕事が減り、とうとう俺の長い福島第一の生活が終わることに、十分働いたとはいえ、六年以上出たり入ったりした現場。仲間との別れは寂しかった。お別れマージャンとお別れパチンコで福島を離れた。
 被ばく線量は八〇ミリシーベルトを超える。でも事故直後の一定期間内に作業してないと、国や東電のがん検診は受けられない。何とかしなきゃと思ってやってきたが、補償は何もない。(聞き手・片山夏子

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