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zoom RSS 星野弘さんを追悼 作家 早乙女勝元さん

<<   作成日時 : 2018/06/26 06:25   >>

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 東京大空襲訴訟の原告団長として、国に大空襲被害の補償と謝罪を求めるたたかいの先頭に立ち、17日に87歳で死去した星野弘さん。裁判を支援し、交流が深かった作家の早乙女勝元さんに追悼の思いを聞きました。(しんぶん「赤旗」 6月25日付)
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     志をくみ、戦争伝え続ける
 
 訃報がきっかけで映像作家の私の娘が2015年に撮影した星野さんの証言DVD「ヒロシがいた橋」を見ました。1945年3月10日未明、大空襲の炎と煙の中をかき分けるように逃げ、九死に一生を得た体験は私と同じですが、1学年上だった星野さんは翌11日から犠牲者の無数の遺体を処理する作業(注)に動員されたのです。
 映像で星野さんは、その作業中に赤ん坊を背負った母親の遺体が運河の水面に浮かんできた時の記憶を鮮明に語っていました。必死で何かにすがろうと、お母さんの髪を握りしめたまま亡くなった女児の遺体などを「今でも夢にまで見る。これが私にとって戦後の原点だ」と。星野さんが、遺族のため犠牲者名簿を収集する運動に始まり、国を相手に大空襲の被害を告発する裁判に立ち上がったのは、生き残った者としての使命感があったからではないでしょうか。 
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 また軍人軍属の遺族には手厚い恩給を渡してきたのに、家族を失って障害を負った民間被害者の救済を拒み、戦争被害は国民が等しく耐え忍ばなければならないとする国への強い怒りがあったのだと思います。
 訴訟は最高裁で敗訴が確定したものの、その後、超党派の議員連盟に働きかけ、救済をめざす立法運動ににつながっています。この先頭に立ってきた星野さんは、仲間の信頼や人望厚く、本当に惜しい人をなくしたと残念無念です。
 星野さんの志をくんで、一歩ずつ進んでいこうという人が増えていくためにも、戦争の事実について「知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と、今後も私は呼びかけ続けたいと思います。

】遺体を処理する作業。狩野光男画

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