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zoom RSS 「満洲の記憶」研究会と「公主嶺会」の交流

<<   作成日時 : 2018/12/06 06:08   >>

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 「今年もあと一月をきりました。嬉しいことをお知らせします」。満洲・公主嶺会の土屋洸子さんからのお手紙をいただいた。ここ2年あまり一橋大学の少壮学究たち(「満洲の記憶」研究会)との交流の成果が上がりつつあるという微笑ましくも確かなレポートの数々です。
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 「満州の記憶」研究会から「満州の記憶 第5号が、先週末に出ました。「編集後記」に大石 茜さんが書いているように、この号は公主嶺を大きく取り上げています。
 「公主嶺教育関連写真目録」の「解題」(写真資料が語るもの −公主嶺小学校同窓会写真アルバムよりー P64〜68)は大石 茜さん、「追記」(学年別クラス写真について追記 P69〜73)は私土屋が、目録の「編集・整理」(P74〜101)を甲賀真広さんが書いています。
 さらに、甲賀真広さんが「公主嶺調査記」(P125〜129)と題して、「調査の経緯、戦前期の公主嶺、現在の公主嶺」を書いています。これは、研究会のメンバー4人が今年(2018年)8月下旬に旧満州へ研究旅行に行って、8月22日に訪れたものです

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 「学年別クラス写真」のアルバム9冊は、同窓会事務局の私宅で預かっていましたが、万が一のことが近いにつけ、行く先を思い悩んでいました。
 写真が集まったいきさつやプリント作業については上記の「追記」にある通りですが、400枚を超す写真を整理し、番号をつけ、提供者の氏名や撮影場所を記録し、担任の名前を確定し、一覧表を作ったのは、伊藤 聖さん(33回生)でした。私は一覧表をワープロに入力し、写真1枚ずつに写真のラベル(番号、回生、学年、担任の名前など)を作って、9冊のアルバムを作りました。写真のプリントは今井律雄さん(28回生)の担当でした。これだけの作業を経て、希望者にプリントした写真を渡すことができました。
 いずれにしても、公主嶺小学校同窓会は、人に恵まれました。伊藤 聖さん、今井律雄さんがいなければ422枚の写真を9冊のアルバムに収めることが出来なかったでしょう。

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 「解題」の終わりに大石 茜さんが「写真館やカメラという文化の根づいた公主嶺で撮影された写真が、戦禍を逃れ、公主嶺小学校同窓会に集まった。数百枚にのぼる写真を整理し、再プリントするノウハウが同窓会にあったことで、こうしてまとまった写真アルバムが完成した。公主嶺小学校だからこそ残すことのできた貴重な資料といえるだろう」と書いています。うれしい総括と思いました。
「公主嶺調査記」を書いた甲賀さんは細谷和子さん(31回生)や私の話しの中に出てくる「ロス建て」に興味を覚えて、公主嶺に行ったとのこと。
 「ロス建て」はロシアが日清戦争(明治27〜28年)と日露戦争(明治37〜38年)の間の10年間で建てた建築物で、住宅では外壁の煉瓦の浮き模様(ロシアレリーフ)と屋根に残る尖塔が特徴でした。

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 8月19日、甲賀さんに公主嶺市街地図を渡して、公主嶺駅、小学校、農事試験場、陸軍官舎などを見てきてほしい。旧池田宅(土屋宅)は角から3軒目、と伝えました。
 そして、8月末の甲賀さんから電話で「ありましたよ!」には驚きました。120年前の住宅が残っているとは・「旧池田宅の写真は「公主嶺調査記」P126に掲載されています。120年の家の歴史の中で、昭和11年6月から20年8月24日までの10年間、池田一家が住んだ家でした。
 甲賀さんの写した写真から、楠町2丁目の道路の北側のロス建ては5階建てのマンションになっていました。再開発の波がそこまで押し寄せている、ロス建てはいつまで残るのか、と思いました。(土屋洸子=旧姓池田)

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