
1945年の空襲から74年。体験者が年々減り、その歴史が風化していくことへの恐れを胸に、下町で大きな被害を出した東京大空襲の3月10日に発刊する。(長竹裕子記者)
■体験集「あのとき子どもだったー東京大空襲21人の記録」(績文堂出版)はA5判約280㌻。予定価格は1500円(税別)。3月10日の東京大空襲を語り継ぐ集い(江東区文化センター)で販売。東京大空襲資料センターのホームページでも注文できる。問い合わせは、同センター=電03(5857)5631=へ。
「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月10日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。百キロ南の生家・公主嶺に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
当時、満鉄・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。五兄(利則)は神風特攻でフィリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、20歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「だれのためでもない。俺は行く、行くしかないんだ。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。子どもから大人になって、「戦争はさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を、次の世代に語り,つづり、歌で伝えたい。
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