旧満州・安東からの脱出行 林 暢さん 終

 「私の戦争体験ー開拓団、共産軍治下」の市民生活、故国への引き揚げー
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 1ヶ月余ソウルに滞在し、12月上旬、貨車に乗せられ釜山へ。港の倉庫で数日船待ちをして、またもやLST船に乗り、荒波狂う玄界灘を渡って九州の岸辺の緑を見たとき、やっと帰ってきた、否、帰ることができたと言葉にならない感慨が全身を貫いた。
 佐世保の南風崎(はえのさき)に上陸。長崎の母方の叔父宅くで一週間ほど静養後、生まれ故郷の市川の生家に戻ったのは12月下旬で、思えば2ヶ月間の引揚行であった。
 長崎で一人の叔父(母の弟)が原爆の犠牲となり、また両親が将来を最も属目していた都立三中出身の長兄(東大電気工学科在学中、仁科研に在籍)が腸結核に侵され、この年の夏この世を去っていたことを叔父の口から聞き、その夜まんじりともせず静かに泣き続けていた。今は亡き母の姿を忘れることができない。

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 戦争は愚行である。平和の方が良いことは決まっている。だがしかし私は言いたい。戦争と平和とどちらが人間に深い感銘と影響を与えるものなのか。答えはもちろん戦争である。そして戦争を体験した後に得た平和と、戦争を知らない平和とは、同じ言葉ではあっても異質の存在だと断言できる。さらに大事なことは、伝聞という行為を通じては戦争は絶対に理解できない代物であるということだ。
 今まで受動の立場ではあっても戦争体験を筆にして語ったことは無かった。子供達にも喋ったことはない。喋っても無駄との諦念が先に立つからだ。今回、同期会の呼び掛けに対し、応じるべきか否か、かなり迷ったが、還暦も過ぎ、徐々に記憶が薄れてゆくかも知れないことを怖れ、永年の禁を破って筆をとってみた。


 平成4年6月、中学の級友と相携え、故郷安東を訪問、母校の安東中学にも寄ってきた。町の半ばは昔日の面影を残し、47年振りに戻ってきた我々を、暖かく優しく迎えてくれた。鴨緑江の遊覧船に乗り、北朝鮮側の岸すれすれのところまで寄って安東側を眺めたとき、47年の時空は雲散霧消して、少年期と初老期の私がぴたっと合体した感じであった。あらためて戦後の平和の貴重さを痛感した次第である。

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