「この道」 加藤登紀子 -2-

 日本が敗戦へと転げ落ちそうな時、満州ではまだ、平和な平和なひびが続いていた。ところが八月九日のソ連参戦と終戦を迎えて事態は一変した。それからは加藤登紀子の「遠い祖国・日本」への苦難の逃避行がはじまる。
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     遠 い 祖 国 

 終戦からの一年が過ぎ母の洋裁の仕事で、どうにか生活の目処が立ってきた頃、満州にいる170万人もの日本人を日本に返そう。という引き揚げ協定が結ばれた。
 母は大好きなハウビンから離れたくなかったので悩んだそうだ。でももし母になにかあれば子供たちは孤児になってしまう。結局1946年9月、引き揚げ列車に乗って、日本に向うことになった。
 石炭を運ぶ大きな無蓋貨車に詰め込まれ、ゴトンと動き出した列車は、途中で止まったり雨に降られたり、いつどこに着くのかさっぱりわからない究極の旅。
 「ただ生きている、ということしかない不思議な時間。人間は生きるためなら、どんなひどいことも超えていける、凄い経験だった」と母は言う。

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