
遠 い 祖 国
終戦からの一年が過ぎ母の洋裁の仕事で、どうにか生活の目処が立ってきた頃、満州にいる170万人もの日本人を日本に返そう。という引き揚げ協定が結ばれた。
母は大好きなハウビンから離れたくなかったので悩んだそうだ。でももし母になにかあれば子供たちは孤児になってしまう。結局1946年9月、引き揚げ列車に乗って、日本に向うことになった。
石炭を運ぶ大きな無蓋貨車に詰め込まれ、ゴトンと動き出した列車は、途中で止まったり雨に降られたり、いつどこに着くのかさっぱりわからない究極の旅。
「ただ生きている、ということしかない不思議な時間。人間は生きるためなら、どんなひどいことも超えていける、凄い経験だった」と母は言う。
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