
特攻隊員の兄 生きていたら
千葉市 田中 優(87歳)
1945(昭和20)年3月27日、私の三兄は、海軍特別攻撃隊彗星隊103飛行隊の1番機の操縦をして、沖縄の海に自爆しました。満20歳でした。
長兄は釜山郵便局に勤務しながら2度召集され、「北支戦線」に従軍しながらも、無事除隊になりました。
次兄は志願した海軍航空隊の整備兵として軍務中に、戦友のミスで負傷して除隊になり、それが原因で戦後、膿胸(のうきょう)になり、町議会議員2期目で将来を嘱望されながら死去しました。
三兄は家族に内緒で特攻隊員になり、戦死する10日前で生家の上をせん回し、操縦席から白い絹布を降っていました。帰宅して、押さなかった末弟を腹に乗せて飛行隊歌を歌っていました。
戦死公報が届いたのは敗戦後の9月末で、それまで毎朝陰膳を備えていた母は、「コゲナ負ケ戦ニナイゴテ死んだか」と狂い泣きしました。
剣道が強くて、裸馬乗りが特意で、親孝行者だった兄が生きていたらー悔しいです。平和憲法9条を死守します。
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