
久し振りの文章での再会、懐かしい。40数年前からの知り合いで元区議・鈴木康吉さんの奥さん。新婚早々の夫妻の住む深川の住居をたずねたりしていた。男どもは天下国家を論じたり、家内同士は子育てのノウハウを聞いたり、教えたりで家族同士の交流が続いていたことを思い出す。
写真は確か45年前か、「赤旗祭り」での記念写真。若かった。左に鈴木源太郎区議、右に共産党後援会長の中川冬至郎さんに囲まれて3人の子どもを抱えた鈴木一家。それに私が添えられている。
■参院選躍進を 鈴木八千代 東京都 77歳
「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月10日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。百キロ南の生家・公主嶺に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
当時、満鉄・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。五兄(利則)は神風特攻でフィリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、20歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「だれのためでもない。俺は行く、行くしかないんだ。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。子どもから大人になって、「戦争はさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を、次の世代に語り,つづり、歌で伝えたい。

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