
戦病死した兄 形見は石ころ
兵庫・姫路市 岸本 守(81歳)
私は8人兄弟の6番目に生まれました。長兄が赤紙1枚で収集され、戦後1946年に西部ニューギニア・エフマン島でマラリアに侵され戦病死しました。
兄は国鉄神戸港駅に勤務し、経済的にも支えになっていました。「おまえが国民学校2年生になったら帰ってくるんや」と聞いて育っていたけれど、最後の復員船が出る5カ月前に亡くなってしまいました。
兄の木箱に入っていたのは石ころだけでした。母は一晩中、木箱にすがりついて泣いていました。私が国民学校2年生の時でした。今もその光景が目に浮かんでは母の嘆きと悲しみが伝わってきます。なんで、戦争が起こるのかと考えていくうちに教育こそ大事だと考えるようになり、私は教師への道を選びました。そして36年、高校の教師を定年退職。
現役の時の「教え子を再び戦場へ送らない」のスローガンを、今も瞳のように大切にして、孫やひ孫を戦場の兵士にさせてはならないと、アベ9条改憲に命をかけてたたかっています。
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