ミッドウエー海戦の生と死 沢地久枝

 1943(昭和17)年、6月5~6日中部太平洋のミッドウエー島攻略とアメリカ海軍兵力撃滅を企図して出撃した日本の連合艦隊主力とアメリカ機動部隊とのあいだで、大規模な海戦が展開された。結果、日本海軍は主力空母の加賀、赤城、蒼竜、飛竜の4隻が撃沈され、熟練練達の操縦員を多数失い壊滅した。
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 世に言うミッドウエー海戦である。開戦(1941年12月8日)以来僅か半年のことで政府・軍部のショックは甚だしく、この出来事を国民にひた隠しに隠した。少国民時代にみた日本のニュース映画は、海中に不時着した攻撃機(注1)の搭乗員と救出する短艇の水兵とが握手するシーンを写し、その健闘を逆に称える描写になっていたことを鮮やかに記憶している。
       滄海(うみ)よ眠れ     
    ミッドウエー海戦の生と死
 
 手元に沢地久枝が描いた「滄海よ眠れ」がある。昭和57年、「サンデー毎日」に掲載され、膨大な資料を駆使したルポである。読み進むうちに驚嘆したのは単なる一海戦記でなく表題のように海戦に加わり戦死した日米両軍(注2)の遺族の一人一人を訪ねて、死者の生き様を浮き彫りにしたことである。過去に誰もがなしえなかった事柄を鋭くえぐったことで、まさに驚愕に値するルポルタージュになっている。 
注1】帰着した日本の攻撃機は着艦する空母は沈没していて、その姿はそこになかった。
注2】日本側の戦死者数は3057名。アメリカ側は362名

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