「日本人の民度は高い」? 『東京新聞・筆洗』

「私はうそつきだ」こう言った人はうそつきか、そうでないか。なぞなぞではなく、いにしえからある論理上の問題である▼自分で言うのだから、うそつきなのだろう。でも、うそつきだとすれば「私はうそつきだ」という言葉自体もやっぱりうそではないか。分からなくなる。「うそつきのパラドックス(矛盾)」と呼ばれる▼読者を悩ませるつもりはないが、これもその手のパラドックスかもしれぬ。麻生太郎財務省の発言である。日本人の新型コロナウイルスぼ死亡者数が欧米に比べて少ない理由について「おたく(の国)とは国民の民度のレベルが違う」とおっしゃったそうだ▼「日本人の民度は高い」。他国からそう言われる分には構わない。が、日本人自身がそれを言い出せば、その言葉は思い上がり、高慢で慎みの欠ける言葉に聞こえはしないか▼民度とは国民の生活程度のことであり、そこには礼儀やマナー、心根のようなものも含まれるのだろう。とすれば、うそつきのパラドックスと同じ。自分で民度が高いと胸を張ることはおよそ民度が高いふるまいとは思えぬのである。大勢の死亡者が出た国を見下しているようにも聞こえる▼麻生さんによれば日本の民度の高さと説明すると他国の人は黙るそうだ。おそらく、感心の沈黙ではない。開いた口がふさがらなかったのである。(2020・6・8) 【今日の出来事】1947年日本教職員組合「日教組)結成 1972年ナパーム弾から逃れるベトナムの写真が世界に発信される。 【追記】今日から随時、東京新聞のコラム・『筆洗』も転載することにします。

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