兄・神島四郎の「シベリア物語」 

【追記1】四兄・神島四郎は1921(大正10)年、旧満州(現中国東北部)の遼陽市生まれ。新京商業を経て、1940(昭和15)年東京の善隣外事専門校に進む。第一語学は支那語、第ニ語学はロシア語を専攻していた。在学中、陸軍に徴用され、在ハルビンの関東軍特務機関・暗号解読班に軍属(敗戦時・大尉相当官)として配属された。当時、対ソ戦に対応するために軍は、全国の大学、高専のロシア語専攻学生を総動員し旧満州に送った。  昭和20年7月初旬、スターリンが極東郡司令官・ワシレフスキー元帥に打電した極秘暗号電文(8月11日、ウスリー江を越えて進撃せよ)を解読し、新京の関東軍司令部に送ったが黙殺された。ことは重大、無視されたことを聞いて暗号解読版の面々は、怒り心頭だったという。その結果、ソ満国境の同胞らが悲惨な状態に追い込まれたことは明らかだ。 【追記2】戦後14年、東京オリンピック前で日本中が大騒ぎをしている最中、伊藤忠商事の瀬島龍三氏(後の同社会長)から一本の電話があった。「神島君、内へ来ないか」という誘いだった。  ソ連抑留中同じ戦犯として収監さていて、軍事裁判の通訳を努めた兄・四郎への入社勧誘の誘いだった。面会の後帰宅した彼曰く。「彼のためにどれだけの兵隊が極寒と重労働なか飢えと疲労と病で潰えていったことか、俺はきっぱり断ってきた」とおふくろに告げた。家業(零細な印刷業)に苦労していた兄の身を思って、すこしは期待していたおふくろ。半ば呆れていた母の顔が思いだされる。(永井至正=旧姓神島)  

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惜しむこえ相次ぐ「としまえん」『赤旗・潮流』

昨年公開され、たくさんの心を揺さぶった「長いお別れ」。記憶を失ってゆく父と、むきあう家族を描いた映画のなかでとくに印象に残る場面がありました▼ある日、いなくなった父を捜すツアや娘たち。見つけた先は遊園地のメリーゴーラウンド。家族の思い出として記憶の棚にしまわれていた場所でした。いまも各地で人びとを楽しませる遊園地。そこは、それぞれの大切な思いがつあった場所なのかもしれません▼東京・練馬区にある「としまえん」が先月末。1世紀近い歴史の幕を閉じました。世界初の流れるプールや屋内スキー場、文化遺産の回転木馬をはじめ、時代を映しながら世代をこえて愛されてきました▼惜しむ声が相次ぐなか、いま跡地利用が問題になっています。映画ハリー・ポッターのスタジオツアーと、っ防災機能を備えた公園として生まれ変わる計画だといいますが、現在の遊園地の大部分は娯楽施設に。おれで防災拠点の役割が発揮できるのか▼「住民の声をよく聞き、あり方を検討することが大事」。現地を視察し都議会でとりあげてきた共産党のとや英津子都議は民間事業だけが押していく状況に疑問を投げかけます。ここはかつて場外馬券売り場の設置をめぐって区民の反対運動がひろがり、子の夢をはぐくむ環境を守りぬいたことも▼いまや街の遊園地は次々に姿を消し、その後が問われています。多くは住民や地域に根ざしてきた場所。それだけに、生活に深くかかわり、心うるおう地として引き継いでいきたい。(2020・9・4) 【今日の出来事】1923年亀戸事件(関東大震災の混乱に乗じて、社会主義者…

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