昭和の初期から終戦まで朝鮮(韓国)の釜山から平壌(北朝鮮=ピョンヤン)を経て旧満洲(現中国・東北部)の新京(長春)までニ泊三日かけて、異国の地を我が物顔でひた走った列車の愛称がそれです。、
明治以来、日本は軍隊や大量の軍需品、開発した物資をいち早く輸送するために国策会社(南満洲鉄道会社など)を設立。鉄道の敷設、流通に奔走した。しかし、戦後不幸にも南北の分断、冷戦、そしていまでもその経路は遮断されています。
しかし、もし南北の統一が果たされれば、ソウル発ピョンヤン経由で北京まで直行列車を走らせることができるでしょう。ぜひとも走らせたいものです。おぞましくも痛ましい拉致問題などの解決にはなお幾多の曲折があるでしょうが、いま望まれるのは対立を煽るのではなく、話し合いの積み重ね、相互の交流こそが大切なのではないでしょうか。実現不可能な遠い「夢物語り」かも知れないが、もし玄界灘に橋を架けるか、トンネルを掘ることができれば、東京発北京行きだって、いや、札幌発ロンドン行きだって可能かも知れません。愛称は「希望」「平和」。通過駅ごとにその国の言葉でネーミングしたらどうでしょう。(この稿は、2013年に書いたものに若干の手を加えた)

この記事へのコメント