「絶対」という言葉を使わなかった半藤一利さん2 『赤旗・潮流』

レコード盤の時代、A面の曲が主でB面は従のように扱われることが多かった。でも、この人にかかると時としてB面のほうが面白く味わい深い▼昭和の語り部といわれた半藤一利さっbが90歳で亡くなりました。政治や經濟、軍事・外交といった表舞台のA面と民草日常を描いたB面を一体にして国の歩みを立体的に映し出しました・歴史探偵を名乗ったように隠れ埋もれた史実を掘り起こしながら▼たとえば小林多喜二が特高に殺され、 思想弾圧の滝川事件が起きた1933年(昭和8年)。国連から脱退し、「非常時」が流行語となったこの年は時代の急変を感じさせ、破局への幕が開け始めていたと▼いっぽうで民衆は桜が咲けばお花見にくり出し、夏には東京音頭でソレ、ヨイヨイヨイ」。年末には皇太子誕生の喜びにわいて旗行列ができる。社会を覆う不安や緊張、危うくなる国のゆくえを忘れてしまいたいといわんばかりに▼「戦前の昭和史はまさしく政治や軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である」(『昭和史 戦後編』)。ふたたび権力が主にならぬよういさめ、憲法9条こそ人類の未来と説きつづけました▼周りに「絶対」があふれていた戦前の日本。その反省から半藤さんは二度とこの言葉を使わないと心に誓ってきたといいます。あえてそえを使っても伝えたい思いは.「戦争だけは絶対にはじめてはいけない」(2021・1・14)

続きを読む

『絶対』という言葉を使わなかった半藤一利さん 『東京新聞・筆洗』

戦争中、天皇の居間には二枚の肖像画が飾ってあった。一枚は進化論のダーウィン。もう一枚は敵国米国のリンカーン大統領だった・・・▼<金鵄(きんし)輝く日本の栄えある光身に受けて>。1940年の奉祝歌「紀元二千六百年」。毎日練習させられた小学生はこんな替え歌を口にした。<金鵄上がって十五銭、栄えある光三十銭>。金鵄も光も当時のたばこの名・・・▼訃報に著作を読み直せば止まらなくなり、当欄の締め切りを忘れたかった。「日本のいちばん長い日」などの作家、半藤一利さんが亡くなった。九十歳。膨大な資料を読み解き、推理するちから、いかに悲惨な歴史を描こうとも、ほどよいユーモアを忘れぬ文章。われわれは腕利きの「歴史探偵」を失った▼「絶対」という言葉を使わない人だった。東京大空襲で九死に一生を得た、日本が絶対に勝つ、焼夷弾は絶対に消せると教えられたが、絶対なんかなかった▼そのおかげだろう。何事にも眉につばをつけ、小さな出来事や庶民の記憶をも丹念に積み上げる手法はのっぺらぽうになりやすい歴史に人間の「大衆」を与えてみせた▼開国、日露戦争勝利、第二次世界大戦敗戦、バブル経済・・・。日本の歴史はだいたい四十年周期で大きく動くと考えていた。そろそろ、次の四十年となるのか。先は見えぬ。過去の失敗を忘れぬな。せんそうはならぬ。そう説いた人が旅立つ。なんとも心細い。(2021・1・14)

続きを読む