詩が生まれるとき ふくしまの10年 -11-

震災後の一カ月で、和合亮一さん(52)が福島市の教職員住宅を開けたのは一度だけ、少し開けてすぐしメタ。「窓をあけてはいけない」「雪や雨に触れないように」と言われていた。窓を開けずに見上げる空。ふと草野心平さんの「何たる声をたてたい吸ひ込む空」という死の一片が浮かぶ。放射能への不安がなかった時代の詩人の美しい言葉を思い、ツイートする。「外で、くうきを『吸ひ込む』ことなぞ、できやしないのです」。放射能」
 浜通りに通う和合さんの心には、依然として黒い津波が押し寄せていた。海沿いでなあされて跡形もない家。がれきを前にぼうぜんとする人たち。悲しい家族の話をたくさん聞いた。生きていてくださいと心の中で祈った。浜に流れ着いた遺体は高校の体育館に安置されていた。原発から十㌔圏内では、津波の行方不明社の捜索がはい待ったばかり、どう魂を鎮めたらいいのか、毎晩不眠に悩まされた。
 二十㌔県飯館村域や、w剛さんの母親の故郷・川俣町の一部に避難指示がでた。飯館には多くの知人がいた。住民がどれだけ村を愛しているか。避難計画は「見を切れ」という命令だと思った。自分たちに何の罪があるのか。避難区域が近づいてくるのを感じた。
 2011年4月22日、20㌔圏内が警戒区域に指定された。故郷に許可なく入れないとはどういうことなのか。住民の故郷が失われる時。和合さんは投稿した。午前零時よ、来るな、午前零時が。来た。(東京新聞 片山夏子)
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