詩が生まれるとき ふくしまの10年-10-

山形に避難していた妻と息子が福島に帰ってきた。和合亮一さん(52)は心配だったが息子の生もとを尊重したかった。震災から一カ月、その間に、福島を襲った余震は千回を越えた。小学校の卒業式はなかったが、中学の入学式は行われた。新入生の名前を呼んだ後、在校生が一斉に立ちベートーベンの「喜びの唄」を歌う。力強い歌声を聴き、未来は彼らがつくってくれると感じて涙があふれた。
 震災後、初めて相馬に行ってから、和合さんは浜通りに何度も通った。見渡す限りのがれきの海。見えない津波を常に感じた。失われた命、たくさんの悲しみや、絶望。胸の奥に鎮魂の思いが灯る。それは震災後、怒りと絶望感から、次々浮かぶ言葉を投げ続けた「詩の礫」とは対照的な、、静かな気持ちだった。
 浜通りの海辺を歩きながら、気付くと雲間や光を探している自分がいた。亡くなった人たちに言葉を捧げたい。それは祈りなのではないかと、和合さんは思った。
 小学校三年生のとき、一緒に暮らしていた大好きな祖父が亡くなった。悲しくてどうしたりいのか分からなかった。僧侶の詠む般若心經を耳で覚え、意味も分からないのに毎日、寝る前に祖母と唱えた後、目の前が明るくなり、祖父への思いが昇華していく気がした。喪失の中で感じた光だった、死者への鎮魂と祈り。一カ月半、毎晩「死の黙礼」の詩を書き続けた。言葉には力がある。死者への思いを追うほど、和合さんは生者の命や生きるエネルギーを感じた、(東京新聞・片山夏子)
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