詩が生まれるとき ふくしまの10年 -13-

亡くなった人への鎮魂「詩の黙札」を一カ月半ツイッターで書き続けた後、和合亮一さん(52)は2011年5月25日に「詩の礫(つぶて)」を再開した。この日は原発から20㌔圏内の福島県南相馬市と富岡町の住民が、初めて一時帰宅した日だった。家にいるのが許された2時間、泣いただけで戻ってきた人もいた。  震災後、頭に浮かぶ言葉を次々投稿した。「詩の礫」は、他の詩人や評論家から「これは詩ではない」「詩の被災だ」「詩のだだ漏れ」「人の不幸を題材にした稚拙な作品」などと酷評された。「震災を利用して有名になろうとしている」と言う人もいた。一方で文学者らは「もともと技術力のある詩人。そこへ向かう理由が、震災にも和合さんにもあった」と反発。新聞では賛否を並べた特集が組まれた。  和合さんは深く傷ついたが、これほどのことを経験して今、書かなかったらいつ書くんだと思った。以前は1,2カ月で書いた詩を即興で次々発信したり、目の前の震災に絶望や怒りをぶつけたり、作風は変わったかもしれない。でもどんなことを言われようと詩を書こうと思った。  そんな時、福島市の小学校五年生の男子児童の作文に出会う。原発事故の問題は、自分がお父さんやおじいちゃんになっても解決しない。だから先の世代の子に教えるため、今勉強したいとつづっていた。和合さんははっとした。。これだけの被害にあったことを、自分は福島の人間として伝えたいんだと気付く、技法や作風ではない、自分の総力を挙げ、この震災を書こうと思った。

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