「平和の俳句」東日本大震災10年

あれからといわれてもなおこれからも 長 保夫(67)石川県野々市市 <黒田杏子>十年はあっという間のようでもあり、永かったですねとも想う。こののちも被災地への鎮魂の気持ちは変わりませんよと・・・。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

風評を押し出すように踊の手 斎藤 浩美(63)愛知県東海市 <いとうせいこう>どこの踊りを見たのだろうか。東北の郷土芸能か。ともかくその力強く躍動する手の動きに感銘を受けた者の目。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

復興を見届けたくて目を閉じる 新保 芳明(73)金沢市 <黒田杏子>目を閉じられるのは祈り。復興までには厖大な時間が。不可能と知りつつその時を見届けたいと説に希う人の一行。

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続 東京大空襲 朝鮮人犠牲者追悼

 1945年の東京大空襲かあら10日で76年を迎え、約10万人の犠牲者のうち1割を占めるとの指摘もある朝鮮人犠牲者の追悼会が13日、東京都墨田区の都慰霊堂で開かれ、約70人が参列した=写真。新型コロナウイルス禍の影響で、初めてインターネットでも生中継した。  追悼会は2007年から毎年開催。追悼の言葉を読み上げた在日朝鮮人の大学生チョ・ソファさん(20)は「全ての朝鮮人犠牲者に深い哀悼の意を表したい。歳月が流れ世代が変わっても、強制連行の歴史を忘れない。過去の犯罪を精算させる闘いを続けていく」と延べた。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

福島の林檎の思ひ噛み締める 田中 佳子(66】愛知県稲沢市 <いとうせいこう>親戚から送られた林檎を噛み、そのうまさに思いを深くする。農家の思い、まして林檎の思ひは。

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東京大空襲 朝鮮人犠牲者追悼

 1945年の東京大空襲から10日で76年を迎え、約10万人の犠牲者のうち1割を占めるとの指摘もある朝鮮人犠牲者の追悼会が13日、東京都墨田区の都慰霊堂で開かれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、初めてインターネットでの生中継も実施。  追悼会は2007年から開催している。主催する市民団体「東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会」によると、太平洋戦争中は原罪の墨田区などに軍需工場があり、動員され働いていた朝鮮人労働者とその家族が亡くなった・(東京新聞夕刊・3月13日付)

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東京大空襲の救済法成立を 「東京新聞」

約十万人が亡くなった東京大空襲から七十六年の十日、空襲被害者らの救済法制定に取り組む超党派の国会議員連盟が、衆院第二議員会館で総会を開いた。(3月10日付東京新聞・「話題の発掘」から=以下画面へ)

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「平和の俳句」東日本大震災10年

許さない母なる海へ汚染水 斎藤 洋子(79)金沢市 <黒田杏子>「許さない」は兜太先生の墨書の言葉を引き継ぎましたと。海は地球の共有財産。日本の勝手な判断と行動は許されません。

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福島第一原発「作業員日誌」『東京新聞・片山夏子』

あの日から十年。しかし、被災者には「節目」はありません。福島第一原発で働く作業員にとっても同じでしょう。それでもときは流れていきます。1面トップは「作業員日誌」特別編です。(編集日誌」(瀬)なお、聞き手は片山夏子福島特別支局長  【50歳・下請け会社社長】  震災と原発事故からの十年は、あっという間だった。ずっと何かに追われているようで、地に足が着いていない感じ。ふと俺は何をしているのかと思う時が今もある。俺も従業員も原発近くの地元に戻れていない。会社の事務所を置くのも地元か避難先か迷ったまま、十年が過ぎてしまった。(以下画面をー)

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「平和の俳句」東日本大震災10年

原子炉眠らせ海ねむらせて雑炊椀 大河原 政夫(70)福島県郡山市 <いとうせいこう>鎮魂の句でもあり、安らぎを与える大きな力を信じる句でもある。小さな雑炊椀の中に安堵を招じ入れる祈り。

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[ひとの復興はいまだ寒々しい」『赤旗・潮流』

住宅地の一角に木碑が建っています。正面に刻まれた「大きな地震が来たら戻らず高台へ」の文字。ここは、岩手・大鎚町の安渡地区。あの日の津波で200人以上が犠牲になった場所です▼8年前に地元の高校生が発案し、住民の協力で建立。震災の風化を防ぎ、教訓を伝え続けるため、4年ごとに建て替えられてきました。お披露目された新しい木碑の側面には「未来 帰らぬ人の想いを背負い 繋いで生きていく」▼東日本大震災から10年。津波に襲われ、がれきと化した三陸沿岸部は様変わりしました土地は造成され建物は新設され、道路や鉄道が開通。コンクリートの巨大な防潮堤がそびえ立ちます。進むまちづくり。しかし、ひとの復興はいまだ寒々しい▼どこも人口減や空き地対策、被災者の心のケアが深刻な課題に。コロナの追い打ちもあり、飲食や商店を営む人たちの口からはため息ばかり。「先行きも見えず、不安しかない」▼震災時からカメラを通して大鎚の移り変わりを見てきた中村(旧姓=菊池)公男さんは「地域の支え合いは残っている」といいます。だからこそ、自治体は生活者や起業する若者たちの要望に耳を傾けそれを支援に生かすべきだと▼NHKのアンケート調査ではいまの復興の姿を「思い描いていたより悪い」と答えた被災者が半数以上も、進まない生業や地域の再生。被災地の現状は地方やひとに冷たい「日本政治の縮図」のようだという中村さん。そこを変えこそ未来へとつながるはずだと。(2021・3・11 ) 【注】福島県いわき市の「いわき震災伝承みらい館」では、メッセージをつづった黄色い…

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「平和の俳句』東日本大震災10年

人々の英知は無限春北斗 河端 不三子(76)埼玉県熊谷市 <いとうせいこう>震災もコロナも、我々を追いつめる。しかしそこに熱く冷静な人類の英知が集まり、北斗輝くごとく窮地を抜けてゆく。 【追記】東日本大震災から10年。ここのところの東京新聞は被災者の心に寄りそい、「平和の俳句」などで大キャンペーン。きょうの一面の紙面構成は人類の英知の奥深さを感じさせ感動。だが、人びとの悲しみ、無念さを怒りに押し上げることの難しさを知る。17文字での表現は所詮無理なのか。(永井至正)

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山田耕筰曲 <何だ空襲> 『東京新聞・筆洗』

 先日亡くなったテレビプロデューサーの鴨下信一さんが著書「昭和のことば」で、紹介していた曲を聴いてみる。覚えやすくて朗らかな曲調にかえって恐ろしくなる。曲は「なんだ空襲」(作詞・大木惇夫、作曲・山田耕筰)という▼1941(昭和16)年、戦意高揚を目的に作られた。後の歴史を思えばあまりに残酷な歌詞だろう。<警報だ、空襲だ それがなんだよ備えはできてるぞ><敵機何台来ようと平気だよ><持ち場持ち場にかけよう命>。敵機はおそるるに足らない<蚊とんぼ、とんぼ>、焼夷弾は消せる(火の粉)と歌っている▼45年の東京大空襲から10日で76年となる。空襲は<それがなんだよ><平気だよ>どころではなく、大勢の命を奪っていった。戦争末期とはいえ、あの勇ましい歌を信じていた人もまだいたはずだ▼空襲が奪ったのは命や財産ばかりではない。作家、吉村昭さんの体験である。ある空襲の夜、寝間着姿の高齢女性が道を這っているところを見た▼抱え起こすと、「残されまして、残されまして」と繰り返す。家族に置き去りにされ、追いつこうとここまで這ってきたらしい▼どんな事情があったか分からないが、空襲という極限状態に人はまともな心を奪われ、家族さえ捨てさせるのか。「なんだ空襲」の虚しさに「地獄なんだ空襲」とつぶやく。ほんの76年前のことである。(2021・3・10)

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『平和の俳句』東日本大震災10年

3・11を胸奥に牡蠣割り女 菅原 和子(86)東京都台東区 <黒田杏子>陸前高田市で家屋敷すべてを海に攫われた人。俳人、茶人として東京で活動。牡蠣割り女として働く句友に捧げた句。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

幸せだ何事もなくそばにいる 小川 果凜(14)名古屋市瑞穂区 <いとうせいこう>中学二年生のこの句が、まさに私たちの実感だろう。その幸せさえないこともあるのだから、と被災に思いを寄せる。(2021.3.9)

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きょうは国際女性デー 『赤旗・潮流』

「女のくせに」「男の上司に代われ」。コールセンターに勤める知人が相手から投げつけられた言葉。それはしこりのように胸にに残っているといいます▼日常に染み出てくる性による差別。どうすれば、そんな社会を変えることができるのか。期せずして二つの本がヒントをくれました。太田啓子さんの『これからの男の子たちへ』と、上野千鶴子さんの『女の子はどう生きるか』▼弁護士でシングルマザーの太田さんは小学生の息子2人を子育て中です。そのなかで引っかかるおとなの言動が1男子ってバカだよね2カンチョー放置3意地悪は好意の裏返し。ありがちですが、それぞれ大きな問題を抱えているといいます▼たとえば性別によって周りの受け止め方が違うのは好ましいのか。他者への暴力的なふるまいの萌芽を「男子あるある」として済ませていいものか。動機がなんであれ、してはいけないことを諭すのが、おとなの責任ではないか▼はびこる「有害な男らしさ」。それは男性自身の特権意識や呪縛にも。。東大の入学式で性差別の現実にふれた名誉教授の上野さんは、どの分野でも女性の進出が増えれば革新を起こすと説きます。習慣や伝統にとらわれず「今日の常識は明日の非常識でもある」と▼きょうは国際女性デー。先人たちは長いたたかいの末に平等や権利をかちとり、男中心の「当たり前」に風穴を開けてきました。そして女性をとりまく社会の変化が目に見える時代へ。だれもが呪い解かれ、自由に生きるために。(2021・3・8)

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「平和の俳句」東日本大震災10年

百五歳の祈りとなりしわが俳句 近吉 三男 (105) 石川県白山市 <黒田杏子>墨筆による堂々たる文字の俳句。一行十七音字の俳句の力をあらためて確認・共感させて頂きました。敬服いたします。

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「平和の俳句』東日本大震災10年

東北に無事でいるとの便りあり 清水 芳子(66) 三重県鈴鹿市 <いとうせいこう>何よりこうした頼りにほっとすることも、私たちにできることのひとつだ。その暮らしを思うこと、心配を告げること。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

あの日まだ私は若く生きていた 伊藤 恵三子(74)名古屋市西区 <黒田杏子>3・11当時作者は60代。生き延びていま70代。振り返ってみれば、何と自分は若かったことか。永遠に忘れられないあの日

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『平和の俳句』東日本大震災10年

今年また基準値越えて野に摘まず 樋口 英世(79)静岡県磐田市 <いとうせいこう>静岡県の人々にとってもキノコ狩りは大切な日常だろう。親が長野の人間だから私にもよくわかる。それが摘めない。

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