東京大空襲10日で77年 江東で追悼、つどい
1945(昭和20)年の東京大空襲から10日で77年となるのを前に、江東区内で6日、追悼行事や語り継ぐつどいがあった。当時の被害を、ロシアのウクライナ侵攻の現実と重ねる市民もいて、それぞれが平和への思いを新たにした。(東京新聞・「都心版」井上靖史)
<ウクライナに思い重ね>
住民800人が犠牲になった森下5丁目では猿江橋西詰に建立されている慰霊お「八百霊(やおたま)地蔵尊」前で供養祭があり、遺族や住民ら数十人が手を合わせた。当時近くに住んでいた青山ヨネ子さん(91)=神奈川県箱根町=は両親ときょうだい7人で避難した。今の扇橋付近で父から川に降りるよう言われ、混み合ういかだに乗って橋の下で猛火をしのいだ。橋で別れた両親、両親と一緒に逃げた一番下の妹は帰らぬ人になった。「熱かったろう。苦しかったろう。昨日のようで頭から離れない」と亡くなった家族を思った。主催した森下五丁目菊谷茂夫町会長(73)はあいさつでロシアの侵攻に触れ「あの時、この場所で焼死体の黒山ができたのと同じ現実がウクライナで怒っている。あっちゃいけない。どうしたら止められるのか」と悲しんだ。
亀戸のカメリアホールでは「東京大空襲を語り継ぐつどい」があった。民営の「東京大空襲・戦災資料センター」(北砂)が開設20周年を記念して開いた。小平市の 関野清雪さん(87)は幼い頃のつらい戦時体験を紹介。戦争が激しくなり食べるものがなく、母と千葉や埼玉の駅から一時間半も歩くような農家へ食べ物を分けてもらいに行ったが「おまわりさんや兵…

