「満洲とはいったい何だったのか」きょう日中国交回復50年

 「拓け満蒙! 行け満州へ」。今から90年前、軍国日本は中国東北部に一つの国を建てました。時の政府は20町歩の地主になれるなどと奨励し、「満州国」への移民を大々的に募りました▼五族共和、王道楽土をスローガンにかかげ、お国のためという「大義」のもと、大陸に渡った開拓団は」27万にも、しかし終戦直前のソ連軍が侵攻。置き去りにされた子どもや女性、お年寄りは果てしない荒野を逃げ惑いました▼8万人もの開拓民が命を落とした絶望の彷徨(ほうこう)。ところが、日本政府は助けるどころか現地にとどまらせる方針をとります。国から捨てられた人たちは、のちに中国残留孤児や残留婦人と呼ばれるように▼中国にとっての満州は、日本による侵略の象徴でした。暮らしていた人びとは土地や家を奪われ、かいらい国家のもとで抑圧されます。歴史のはざなにつくられた建築遺構は今も多く残り、写真家の船尾修さあんが背景も含め『日本人が夢みた満州という幻影』にまとめています▼きょう日中が国交を回復してから50年の節目、しかし、いまだに日本政府は侵略の事実に正面から向き合おうともせず、習近平体制の中国も大国の横暴をあらわにし、両国の関係は冷え込んでいます▼最も多くの開拓団を送り出した長野飯田・下伊那地方に建てられた満蒙開拓平和祈念館。そこは満洲とはいったい何だったのか、史実から考える機会を。高校生が寄せた短歌です。「歴史とは、過去から学び、今を照らし未来にたくす 平和への使者」(2022・9・29)
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