東京大空襲と天皇裕仁

「3月18日に天皇陛下が視察に来るので道をきれいにしておけ」という命令があり、遺体は富岡八幡あたりに掘られた大きな穴にバンバン投げ込まれた。視察のときには道はきれいな状態になり、天皇は焼け野原はみたが遺体は目にしていないという。もし、あれだけの遺体を天皇が見ていたとしたら、終戦の時期はもっと早まっただろう。(画家・狩野光男)

   「私と天皇裕仁(ヒロヒト)との出会い」 作家・堀田善衛

・・・1945年3月18日、親しくしていた友人が深川にいたので、その消息を確かめに、深川の富岡八幡宮の傍らを歩いていた。いちばん被害の大きかった地帯でしたから、ほんとうにすべて焼け野原、ただ呆然と焼け跡にたちすくんでいました。

すると、私のたっていたところから二百メートルほど先のところへ、小豆(あずき)色のベンツの一隊が現われた。そのベンツのなかから出てきたのは、ピカピカの長靴を履いて、軍刀をぶらさげている天皇裕仁でした。見に来るほうも見に来るほうだお思ったのですが、まわりの連中は天皇の姿を見ると一斉に土下座して、「陛下、われわれがいたらないせいで焼けてしまいました」と謝っている。いったい、どっちが謝るべきなのか・・・。

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詩人永井和子さんの詩・「憲法を詩う」のなかにこんな一節がある。

テンノウの眠りを妨げまいと
警報を鳴らすのを控えて不意打ちされた
東京の下町
無差別の殺意を降らせた334機のB29
血に染まった翼
道は火の道なって燃えた
川は炎の川になって燃えた
熱風に飛ぶトタン屋根
煮えたぎる防火用水の水
地面を掘って我が子に覆いかぶさって死んだ母親
隅田川は死体で埋め尽くされた
それは聖戦を信じていた人々への裏切りだった

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