平和憲法は超近代の理想です
「神も仏もすてたのが、明治政府です」と、梅原猛さんは意外なことを言った。仏教を排斥した廃仏毀釈(きしゃく)の史実は教科書にも載っているが、神を捨てたというのはどういうことなのだろう。
「縄文の昔から日本人は、自然が神様、山川草木すべてが神様だという多神論でした。仏教にもそういう思想があって、神と仏を合体させた宗教を民衆はずっと信仰してきました。神仏習合、それが日本の思想の中心ですよ。ところが、明治になって国家神道という一神教になったわけです。
つまり明治から敗戦までの国家主義が、日本古来の思想を無視し、国家神道という新しい宗教を国民に強制したということだろう。教育勅語はその道具であったはずだ。
名古屋空襲で直撃弾まぬがれた
その“一神教時代”に梅原さんは学生だった。名古屋の八高時代は、二年生の一学期までしか授業はなくて、軍需工場に勤労動員された。手先が不器用だったから、東邦商業の生徒たちと一緒にピストンをペーパーで磨く単純作業をした。
1994年暮れ、名古屋が空襲を受けた。B29が狙い済ましたように、梅原さんのいた工場に爆弾を落としていった。「百発百中だったな。たまたま僕は、入るべき防空壕にはおらず、友人とだべっていた。もう敵機は来ないだろうと、その防空壕に戻ってみたら・・・。直撃弾で死んでいた東邦商業の生徒の青白い顔は忘れられへんな」
八高では校舎が全焼して卒業式もなかった。赤紙が来たのは、何と京都大学の入学式直後だった。名古屋に戻り野砲兵部隊に入隊した。内地防衛隊となり、兵庫県姫路などを経て、熊本県松橋町で終戦を迎えた。
軍人の面子が国民を死への道へ
「職業軍人は悲しんだかっこうしたけど、一般の兵隊はみんな喜びました。その後も僕は、死のイメージが強すぎて、人間の有限性、死への不安を説いた哲学者・ハイデッガーの『存在と時間』をよみふけったな」
梅原さんは国家主義が嫌いである。軍人の面子(めんつ)が、自国民や他国民を死への道連れにしたと考えている。確かに東京が丸焼けになる前に、原爆が落ちる前に、日本が降伏していたら、数え切れない人々の命が助かったはずだ。
”一神教時代”を支えたもの、そのもう一つが靖国神社である。「日本の伝統では、恨みを持って死んだ人を怨霊(おんりょう)神として祀(まつ)りました。崇(たた)りを怖(おそ)れたからです。だから、本来は中国などアジアの犠牲者を祀る靖国神社は、古来の伝統に反しています。
侵略する軍隊は認めなかったカント
日本の平和憲法は、哲学者・カントの説く永久平和論に近いという。カントは防衛する軍隊は認めたが、侵略する軍隊には反対した。「世界政治の現実は国家の枠で動いているんだろうが、平和憲法は生かさなければいけない。人類が求めている『超近代』という理想ですよ」梅原さんは道徳の必要性を訴えているけれど、かっての国家主義風の道徳論を吐く人々とは、まるで違っている。
「仏教が説いているのは、平和や平等です。仏教に基づいた新しい哲学をあと十年で考えてみるつもりです」

〔注〕本稿は04年11月30日付東京新聞「『9条の会』の呼びかけ人が語ります」から転載したものです。
昨日(6月2日)日比谷公会堂で2000人を集めて『九条の会』の全国講演会が開かれ、澤地久枝、奥平康弘、大江健三郎、井上ひさしさんが加藤周一さんを忍んで、それぞれ講演しましたが梅原武さんはメッセージを寄せました。「九条の会の精神が大多数の日本人の信念になることを願ってやまない」
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