
夢こそ頼み
遺書
父上様、母上様時間ナキタメ最後ノ便リヲコレニテ致シマス
特攻隊ノ一員トシテ出撃ニ際シコレヲ御送リ致シマス
二十数年ノ御慈愛ヲ深ク御礼申上マス母上様
とても世に逢ひ見むことの難ければ
夢こそ今は頼みなりけり
春されば祖国のさくらに魁けて
咲いて笑って散る吾身かな
1.金銭貸借関係ナシ
1.深キ女性関係ナシ
1.国分在隊中ノ下宿へ通知礼状願ヒ度シ
国分ノ私ノ教ヘタ練習生モ一人前トナリ、思ヒ残スコトナシ、彼等モ私ノ後ニ続キ命中スルコトデセウ
弟禎介ヨ、兄は大ナル喜ビデ一杯ダ
「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月10日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。百キロ南の生家・公主嶺に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
当時、満鉄・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。五兄(利則)は神風特攻でフィリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、20歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「だれのためでもない。俺は行く、行くしかないんだ。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。子どもから大人になって、「戦争はさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を、次の世代に語り,つづり、歌で伝えたい。

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