
それ以外の特攻映画にも、数多くの心に残る作品、忘れられない映像がある。根本順善監督の「北緯15°のデュオ」(1991年)は、フイリッピンの元特攻基地で出会った男女の旅を追いつつ、「20歳で明日がない」特攻隊員の写真に立ちすくむシーンを描いた。岡本明久監督の「人間の翼 最後のキヤッチボール」(1996年)は、戦時中球史に残るノーヒットノーランを達成した投手が特攻隊員として出撃する。出撃直前、彼は戦友を相手に最後のキャッチボールを投げ込む。一球、また一球、全10球、をストライクで投げ切るまで、カメラはただひたすら主人公を見つめて続ける。いわれなき戦争で断ち切られた野球人生への思いを込めた、胸を打つシーンであった。
同じ野球がらみでは、岡本喜八監督の「英嶺たちの応援歌・最後の早慶戦」(1979)があり、ここでも自分の愛した野球と別れを告げる特攻隊員の悲痛が画面から溢れていた。

黒木和雄監督の遺作となった「紙屋悦子の青春」(2006年)は、特攻出撃を前に戦友に恋人をゆずる主人公と、生き残った戦友と恋人の思いを閉ざされた空間に充実した描写として展開したし、先に触れた佐々部清監督の「出口のない海」(2006年)も、もう一つの閉ざされた空間=人間魚雷の鉄の棺にみじかい生涯を終えた青春に愛情の念を注いだ。
戦後つくられた日本の特攻映画には、カッコいい戦争映画の一種といわれても仕方がないもの、今度の石原特攻映画のように、死者の神経を逆なでするとしか思えぬ特攻美化映画もある。しかしその最良のいくつかをここで振り返ってみて、特攻で死んでいった(正確には殺されていった)人たちの死を真に無駄にしないために、さまざまな困難とたたかった日本映画の良心がいかに尊いものであるか、の課題と向かい会わざるを得ない。
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