▼写真提供 牛山れい子さん

全国空襲連と東友会は全面的に協力
8月29日、全国空襲連の星野運営委員長、足立史郎事務局長らが東友会を訪れ、飯田マリ子代表理事、大岩孝平・山本英典業務執行理事らと懇談し、空襲被害者援護法成立と沖縄の民間被害者への償いを求めるための署名運動と国会議員への賛同署名、自治体の意見書採択運動への支援を要請。東友会は全面的な協力を約束しました。
「本日をもって本校を閉校とする」と校長が宣言した。時は1945年8月10日。満州(現・中国東北部)・新京第一中学校の講堂でのこと。一年生だった。「ウーン、ウーン」と空襲警報が鳴っているさなかである。ソ連参戦で市内は大混乱。百キロ南の生家・公主嶺に向かう列車に友人と飛び乗った。続々と南下する無蓋貨車は関東軍とその家族でいっぱい。完全武装の兵隊が退却しているのだ。
当時、満鉄・新京駅の助役をしていた長兄(一男)から後で聞いた話だが、関東軍の命令で「軍関係者を最優先させて転進させろ。ほかはどうでもいい」ということだった。その結果、残された一般民間人が惨たんたる状態になったことは周知の事実だ。五兄(利則)は神風特攻でフィリピンで戦死。学徒出陣、海軍中尉、20歳だった。彼が部下に託した遺書にはこうあった。「だれのためでもない。俺は行く、行くしかないんだ。お前は男だからおふくろを頼む。後をついでくれ」と。子どもから大人になって、「戦争はさせない」の思いいっぱいだ。だから戦争体験を、次の世代に語り,つづり、歌で伝えたい。

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