あのとき歌った この歌 -15-

「真白き富士の根 緑の江ノ島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに 捧げまつる胸と心」 2007年5月、鎌倉市の「欧林洞」で歌手の佐藤真子さんがこの歌・「七里ガ浜の哀歌」を歌い会場をしんみりさせたことが思いだされます。

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       七里ケ浜の哀歌

真白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力つきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里ガ浜


 大病で2カ月間入院の後のこと、やや不自由な体を自ら鼓舞しながらたどりついた鎌倉。瀟洒な小ホールの一隅に席を取っての一時間余り。続けられる清々しい歌声に聞きほれていたが、とりわけ鎌倉で聞く「十二の雄々しき~」の歌詞には、はるか昔の小学校の音楽教室に引きこまれたような思いで、懐かしさに酔わされ、癒されていた。

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       真白き富士の根 100年
 
 美しいメロディーと心に染みる歌詞の魅力は、100年の月日を経た今も色あせていない▼神奈川県鎌倉市の七里ケ浜沖で12人が乗ったボートが沈んだのは、1世紀まえの1910(明治43)年1月23日。10歳から21歳の12人が亡くなり、11人が逗子開成中学の生徒だった。▼世の人々の涙を誘ったのは、強く抱き合ったままの状態で見つかった兄弟の遺体だ。「兄は死後も骨肉の情の護りも固く、両手強直、全指を交互に強く交えて握り締め、自己の双腕に全霊力を集めて弟を抱き居り」と当時の新聞は伝えている▼追悼大法会で「真白き富士の根」が鎮魂歌として謳われた。米国の作曲家ジェレミー・インガルスの曲に、鎌倉女学校(当時)の教師三角錫子が歌詞をつけた。戦前は松原操の歌でヒットし、映画にもなっている▼逗子開成中学・高校で先日開かれた「百年忌」で、鎌倉女学院高校の生徒がこの曲をアカペラで歌うのを聞いた。澄んだ歌声に、時代を超えた音楽の力を感じた▼サーフィンの「聖地」として知られる稲村ヶ埼には、兄が小さな弟を抱きかかえる像がある。西に江ノ島があり、天気が良ければ富士山を望める。目の前には七里ケ浜の穏やかな海が広がっている。>(2010年1月26日付東京新聞ー「筆洗」)
リンク
 http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/10/post_0c08.html

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